ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 13カ国目 🇦🇱

 

最近、なにかの反動のように自分をつれだしてるユナです。

冒険のことを考えるとアルケミストを読みます。そうやって好きを鞄につめこんで近くの植物園にやってきた。パソコンでやること多くて1ヶ月くらい閉じこもってたけど、外の世界は思ったよりも生きてた。花は降るように咲いていたし、芝の香りは夏休みの始まりだった。太陽はもう肌を焼けるくらいに強くなっていたし、そんな自然にみんなのまれてた。虫にたくさんさされたけどこれ求めてた。simple yet fundamentalなこと。難しくないのに単調じゃないこと。久しぶりのただいまをほぼ毎日やってしまったものだから足がぱんぱんです(笑)

ふと撮ってくれてたpeak trip

さてさて、今回はアルバニア編のはじまり(*旅にいったのは2022年の夏です)

たしか朝が早いバスだったから、おはようする前の静かなオフリドの町を歩いてターミナルに向かった。途中で私のとなり、颯爽とサイクリングで抜けていくおじいちゃんがなぜかUターンして帰ってきたの。んーなんだなんだって思って、たぶん怪訝な顔してたけど(笑)見てたら、バス停わかる?ここまっすぐ行って左側だからね、いい旅を!って教えてくれたの。最高のフィナーレよ、北マケドニア。ありがとう。

去り際までかっこいいおじちゃん

美しいオフリド湖を横目に、後ろの席にいたスペイン人のRosaとお話ししながら国境をこえていく。これいっつもやっちゃうんだけど、イミグレのとこたどり着いてからビザの確認しようとする(もちろん電波なんてないからそわそわして周りの人みたり、祈ってる)日本のパスポートに助けられてる、ほんとうにありがたい。

 

ちらっと日本のパスポートがどれほどパワフルかってこと。大学の友達の話をすると、その子はシェンゲンビザもなかったから最初に入る国の大使館にいってビザを申請しなくちゃいけない。それがほんとうにhectic process。イミグレが訳わからないのは東南アジアだからとか新興国だからなんてことはまったくない。イギリスでもやりたい放題です。ヨーロッパはいいイメージが強そうなのでリアルをぶちこんでみます。

  1. まずビザの申請するための予約をとります(数ヶ月スロットがないことも余裕である)
  2. 次に費用。たしか期間に限らず4万くらいかかって、プラス夏はビザを取りたい人が多いからファストパス的なのを購入します。ただそれを払ったところで旅行にまにあうかは運です。
  3. あと何日間のビザがおりるかも運です。実際、私の友達で2週間しかもらえなかった子もいれば1ヶ月もらえた子もいまして。例えオンタイムじゃなくても費用はかえってこないかなりストレスフルゲーム。

日本パスポートはこれをやらずに旅行できてしまうので、何度「なんで旅行いかないの」って言われたことか。ほんとうにそうだとおもう、ヨーロッパに限らず。経験と知識は自分のものだからこのマインドは学生じゃなくなっても忘れないようにしたい。最近よくみるショート動画があってお姉さんが「Day 〇〇 of doing something fun after work」ってやるやつ。毎日、海に行ったり、かき氷つくったり見てるだけで夏やすみなのよ。あのエナジーは纏っていたい。

 

うーん、脱線もいいとこ。

バスに乗ってアルバニアは首都ティラナ到着!バスターミナルから宿までは学生も多くて、時間の使い方がマレーシアみたいだった。わかる人には伝わる、mamakでたむろってる感じ。

ボルネオとも似てる、ガーナとも、ミニバンが呼び込みスタイル

かと思えばかなりの大自然に囲まれたティラナ

まずはバンカーミュージアム社会主義時代の核シェルターをそのまま展示物にしたところ)に向かってみる。アルバニアが特殊な政治下にあったのは約50年。その中でも1978年から91年までは大鎖国時代を送っていた。日本でいう江戸時代だけど、この鎖国は逃げることも戻ることもできないくらい命の危機を伴うもの。そんな時代に最悪の状況を想定して作られたのがこの地下壕、その数17万基以上。ほとんどが今でも民家の庭だったり、街角、公園の中とかに残ってる。

公園の中にぽつんってあったり

そのうち2つを博物館として改装しているのがティラナにあるBANK'ART。私が行ったのは2つ目、政治の中心地の真下。

地下道

だから国のトップが何かあった時に泊まれるような部屋があったりと全部で20くらいの部屋はあったんじゃないかな。それぞれ社会主義国家下でのエピソード(どうやって監視して、監視されて、逃げようとして捕まって、拷問されて)っていうのが実際の武器や写真、手紙、動画とかで説明されてるの。

そんなに古くないことだから映像もたくさん残ってた

最初はアトラクションの入り口みたいなんだけど、中に入っていくと閉塞感に怖くなって、気持ちが悪くなった。最後の方ぜんぶの部屋見られなくて出てきてしまったくらい。Losing the past means losing the futureって生存者の人がのこしててはっとする。何がどうなったらおかしいことがメインストリームになってしまうんだろう。体験者の人は私のひとつ上の世代。今のおかしいもいつかは過去になるのかな。地下と地上、眩しすぎる日差しがすごいコントラストでくらくらした。ひとりだったけどひとりになりたかった。近くのカフェに入ってdigestする。自分でもびっくりするくらいミュージアムに思考がひっぱられてて。自分は感情が表にでやすい分、受けとるのもある意味素直でたまに困る。

こんな政府系の建物の横にあるバンカーへの入り口

この時のノートにはエネルギーのコントロールを失ってるってことが書きなぐってあった。旅はすきだけど、自分で完結したくない。ニュートラルなエナジーがとどめなく溢れてきて、自分の思考次第でポジティブにもネガティブにもなってしまう。その場のテンションで左右される。わかってるからポジティブに使いたいのにうまくできないっていう葛藤があったみたい。読みかえしてもよくわかる、自己完結型の旅はそろそろ終わりじゃないかなって。ただただ自分の好奇心をみたすだけじゃなくてそれをgive back to societyって考える。はあ、なんてややこやしい性格をお持ちで。

ちょっとさんぽの街角

ちがう街角

 

ここでこの息苦しいままツアーに参加するか迷ったけど吉とでた!

バルカンどこに行っても大体あるのがfree walking tour。そのエリアの歴史とか町をボランティアで案内してくれて最後にチップを渡すってシステム。他の旅人とも仲よくなれるからおすすめです。

こんな広場で待ちあわせ

アルバニアの歩みをシンプルにまとめると...

色々近隣国に攻められたりしながら、長いことオスマン帝国の侵攻を受ける。スカンデルベク(アルバニアの紙幣にも描かれている人)が抵抗したものの、死後、帝国の支配下に。独立しアルバニア王国になるが、WW1後はイタリアの統治下に入る。からのムッソリーニによってイタリア併合。WW2中、アルバニア人民共和国誕生=社会主義国家。30年くらい前にようやく共和国として鎖国を解いた。

 

私のガイドさんは40歳くらいで、もちろん社会の移りを体験してきた人。話が壮絶だった。5人家族のガイドさん、毎日2ローフのパン、2キロの肉は月一でもらえたらいい方。乳製品はほぼ入手できなかった。チューイングガムが珍しく、みんなで食べ回して水につけて次の日もまだ味わう。洗濯は週に一回。バナナが初めて国にやってきた時はみんな食べたら風邪をひくと疑ったくらい。ラジオもテレビも全部規制されてた。国を出ると家族が罰則をうけるからみんながお互いのスパイ。ご近所で盗聴なんかは当たり前。自給自足の生活。

例えばこんな感じに盗聴しあってたそう

この人の肌感として、アルバニアは起きたことを歴史にできるほど時間が経ってないからまだ話せない人も多いそう。そりゃそう。私がうまれるたった7年前のこと。みんなまだはっきりと覚えてるから消化できない。だから今でも学校とかで細かく学ぶこともないそう、というよりどの角度から伝えたらいいのかが決められないんだって。

他にも、過去の遺産をどうしよう?なにに活用していく?っていう会議段階。最近の急な発展は外貨によるものだそう。アルバニア自体EUに入ることを望んでいて、アメリカ、イタリア、ドイツ、オランダとかから融資を得て、高層ビルの建設ラッシュ。私が行った10日前にピザハットの1店舗目が登場。スタバやマックはまだ入ってきてない。過去5年くらい、政治はほぼ破綻しているみたいで、実際イギリスへの違法移民が一番多い国ってアルバニアなのよ。友達のいとこが4ヶ月前くらいにトラックの中やゴムボートを使ってここまで辿りついてた。アルバニアにいても未来がない、仕事がない、お金もないって感じているらしい。

上の像、逆角度からみると工事中がいっぱい

きっとこの国に住む今の世代はこれから5、10年、激動を生きていくんだろう。この事実を伝えていける人は強いと思った。ガイドさんたちから根性をかんじた。

 

このツアーの中身とは別でね、Bradaってアメリカ人のかっこいいお姉さんにも出逢ったの。ボストンで働いてから仕事辞めてworkawayでモンテネグロアルバニアを周遊中。パンデミック中に本も出版して、次世代女性リーダーとして国際会議にもよばれちゃうパワフルレディ。1日、すこし暗い気分にはなってたけど彼女と話して結構すっきりした。

 

そう!もう一人!宿で出会ったタイ人のケイト。もう5年も旅を続けているもはやマスター。彼女にアルバニアのおすすめを聞きながら、ティラナから南下、世界遺産の小さな町Beratに次の目的地を設定しまして。もうどんとこい!なんでもこい!

こんな朝ごはんを用意してくれるところが多いのもアルバニアっぽい

宿のフィンランド人スタッフさんからおすそわけ

正直アルバニアexperience総じて濃い!!

だから丁寧にその時のemotionとか人との出逢いを言葉に結っていきたいです。

 

そいではまた!チャオ!(アルバニア人イタリア語を話す人も多いからチャオ日常的に使われてるよ)

郷土料理はマスト、おいしいんだなこれが