ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 16カ国目🇦🇲

 

Youtuberの緊急で動画撮ってますはこんな気分なのだろうかと思いながら書いてみます、ユナです。電波よぼよぼの場所からなので、写真ほぼなしでとりあえず。のちのち更新するつもりで。

 

早速本編。

前のお話でたしかちらっと触れたんだけど、私はいまコーカサス地方を旅してます。

コーカサス黒海カスピ海に挟まれたシルクロードど真ん中。具体的には、ソビエトから独立したアルメニアジョージアアゼルバイジャンの三ヶ国。地理的な要素のせいで、本当にややこやしい歴史を辿ったこのエリア。

 

ほんとは、のんびり紀行文しようと思ってたんだけど、そんな最中起きたアゼルバイジャンアルメニア間の軍事衝突。今でも過去が過去になっていなくて、憎悪や複雑な感情が子どもたちにも引き継がれようとしているのをここ数週間見てきた。

このニュースがどれくらい報道されてるのかわからないけど、bbcとかNHKの記事は見た。ただ私がアルメニア人の方から聞いたこととは少し違っていたから、ここでそのお話をしようと思います。

ううんまずどこから始めたらいいのだろう。ざっくり何が起きてるか(というか起きた)を説明すると、アルメニアアゼルバイジャンの係争地を、アゼルバイジャンが完全に掌握するために攻撃を始めた。私がネットの記事を読んだときに思ったのは、あれ、アルメニアサイドの話が弱い?ってことだった。

 

ここからは1週間ちょっと、私がアルメニアまわって出逢った人たちから聞いたこと。ちょっと政治なエレメントは避けられないけど、これもひとつの声として聞いてくれるとうれしい。(あまりニュートラルではないローカルのド主観意見もきっと含んでるのでご注意を)

 

今回火種になったのがナゴルノカラバフ。

なんで飛び地みたいになってるかはwikiの説明みてこれ。

ソビエト連邦崩壊後は国際的にはアゼルバイジャン共和国の一部とされているが、アルメニア人が多く居住しており、隣国アルメニアアゼルバイジャンの対立の火種となっている。ナゴルノ・カラバフ戦争最中の1991年9月2日[1]に「アルツァフ共和国」(別称「ナゴルノ・カラバフ共和国」)としてアゼルバイジャンからの独立を宣言したが、国際連合加盟国から国家の承認は得られていない。

真ん中あたりのエリア

つまり、事実上独立したみたいになってる場所で、コーカサスの火薬庫って呼ばれることもあるくらい争いが絶えなくてすごく不安定だったの。

ある人はこうこぼしてた。「ナゴルノカラバフはコソボみたいになればいいのになんでそれが認められないのか」って。

 

アルメニア人はナゴルノカラバフを彼らの土地だと思っていて、直近の紛争でトルコの支援を受けたアゼルバイジャンの軍に歯が立たず、取られてしまったと認識してる印象を受けた。

 

といのも、元々ナゴルノカラバフがアルメニア人居住区であるのを知っていながら、ソビエト解体の時にアゼルバイジャンに併合されてしまって、アルメニア人としては自分たちの人々を守らなくてはというスタンス。実際、イスラム教のアゼルバイジャンの中、ナゴルノカラバフはキリスト教に関わる古い建物だったりがほんとうに多く残るところで、それはアルメニアが世界で初めてキリスト教を国教として定めた歴史とどっぷり結びついてる。ナゴルノカラバフ近くのアルメニア南エリアも行ってきたんだけれど、崖にぽつんと立っている教会や修道院キリスト教に関係のある十字架がどこ向いても見つけられるくらい。

アルメニア人の宗教心は強くて(かつ世界初の国教化にプライドもってる)「アルメニア人でキリスト教を信じてなかったら、または信じたくなかったらどうするの?」と聞いたところ、そのおじさんは不思議な顔をした後、大声で笑いながら「そしたらその人はアルメニア人ではないよ」と。もうアルメニアキリスト教は常識すぎるようで、そこにクエスチョンを持つのも面白かったみたい。ちなみに彼らは、ロシアのオーソドックスでもカトリックでもなく、アルメニアのオーソドックスという別のブランチを持っています。

 

そんな宗教も民族も対立するところに加えて、ナゴルノカラバフで現在進行形で行われているアゼルバイジャンによる支配の方法が彼らのアゼルバイジャン人に対するヘイトを増幅させているように感じた。

ナゴルノカラバフは直近の紛争(2020年)の後、ロシアの仲介で、このエリアとアルメニア/ アゼルバイジャンをつなぐ回廊をロシア軍によって監視させて、物資もちゃんと行き渡るようにするっていう約束があったんだけど、ロシアとウクライナのことがあったあたりから、この監視をアゼルバイジャンが乗っ取って、通行止めにしていたそう。

そして、ナゴルノカラバフ内で農業をしたり、作物を作ることは禁止。UNの支援物資も届かないようになっていて、貧困、飢餓が大きな問題になってた。

それでも、本当に体調が悪い人、けが人はその回廊からアルメニアに渡り、必要な治療が受けられるようにっていう取り決めもあったそうなんだけど、この軍事衝突がおこる数週間前、3人のおじいちゃんがそこを通ろうとしてその後行方がわからなくなった。今もどうなったかわからない、誰も知らない、知りようがないって言っていた。

 

私はこの大半の話をエレバンアルメニアの首都)でのfree walking tourで聞いたんだけれど、この話を聞いたのが9月6日。その時、ガイドしてくれていたVakoが、アゼルバイジャンに攻撃用のドローンが他の国から移動したと言ってた。だいたい新しい武器が渡ると何かがいつも起こるから、ここ数週間は注意したほうがいい、とも。それが現実になったのが3日前の攻撃だった。

 

他の街を訪れた時に、オーストリアチェコで生まれ育ったアルメニア人3人組から話を聞く機会があって、なんでもアゼルバイジャンの学校ではアルメニアを国として教えていないそう(正直これは全土なのか、極端な学校の話の可能性もある)。彼ら曰く、アルメニア人っていう民族が住んでるエリアだけど、国ではない。これも衝撃。

 

うん、ざっとこんなところ。

聞いたこと、読んだこと、確認しながらまとめたけど、認識がまちがってるところもあるかもしれない。そして、かなりわかりにくい話だとは思うから、それら全部最初にごめんねしとく。ただ、コーカサス地域を回っていて気づいたのが、ここらへん隣同士敵ばっかり。だから、国境越えるのが一方向にしかできなかったり、そもそも閉まっていたり、消化できない歴史が根深くあることを知った。ナゴルノカラバフのことも何にも来る前は、ワードさえ聞いたことなかったの。

だからこのあたりも、もう少しライトなお話とちゃんぷるしてゆっくり紀行文していくね。

 

今日はここまで、読んでくれてありがとう。

それではまた。