ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 15カ国目(3)🇧🇦

 

最近オイルパステル熱がまた湧き上がってきてます、ユナです。

去年の自分のバースデーに選んだプレゼントがオイルパステルで。今日はともだちお散歩に誘ってはじめて外でお絵かき会しました。夕方になると人でいっぱいになる遊具エリアもだれもいなくて、まあ楽しい楽しい。

最近ピークキャンプもはやり

 

そういえば、前のユナモノガタリで最近のジレンマを書きました。それへの答えがでたのですっきりしてます。ほんとうに心からいい人たちに囲まれて過ごしてるなってすごい思ってる。私が怖がっていたのはリアルに起きうる数日後、数ヶ月後のイベントじゃなくて、fear of missing outだわ。自分のする決断が正しいのか、逢うべき人に出会えるのか、価値のある時間をすごせるのか。もしかしたら、もっとできたかもしれないって本当にしたことよりもやらなかった方の自分を責めがち。だから自分ができなかったことをやってのけてしまう人が羨ましくて、ずっと邪魔してきてた。嫉妬の感情がどこからわいてきてるのかわかった。

これ伝わるかわからなくて、あんまり人に自分のvulnerable見せないから不安だったけど、信頼できる人に話して気づいたこと。この根っこはget rid ofできないけど、共生していくことはできるね。だから今回のこれは私のこころなりの反逆だった。限りなくsosに近いやつ。だから私が考えなくていいように隠して、でも頭はそこにコアがあることを分かってたからずっとこの2つがかみ合わなくてstressed out. ネガティブな感情に向き合う時、相手の他のものと比べてっていうprivilegeでバランスとるのは合わないからもうやめましょう。

こういう時間たいせつ

今おおきなありがとうがあって、自分が余裕の時は人のguidanceとなり、助けてほしい時は生徒としてサポートしていけるようにできてるんだきっと。人に生かされてるって思うのは、人から学んで、人から愛をうけて、人から自分を認知する。だからかな、人に返したいって思うのはなにも難しい感情ではないのよ。

私なりのありがとうの繋げ方が綴ることみたいなので、みんなもう少しつきあってね(笑)

 

話はボスニアモスタルからサラエボの話をぎゅっと濃縮すると、

ミュージアムに行ったり、丘上りをしたりしながらサラエボ2泊。

かつての職人街

旧市街の裏

サラエボ事件がおきた場所

 

1日どうしても好きになってしまったチェバビの有名な町、Travnikへ片道2時間のおでかけ。サラエボ戻って、ボスニアからイギリス飛ぶつもりが飛行機キャンセルでイスタンブルへ舞い戻り。

ボスニアトップクラスのチェバビ

小さな山間の村Travnik

今からのお話はサラエボ市内に戻ることになったところから。

まず言いたいこと、ど早朝のフライトだったんです。たしか6時とか。バスもなんにもないから、前日は空港近くのエアビー取って、サラエボ市民に混じりながらトリレチェっていうバルカンのおやつを食べてました。ちゃんとしたシャワーもあるところだったから、もう全てがうまくいきすぎてなにか起きそうっていう胸騒ぎはしてましたとも。

朝4時、真っ暗の中、40分歩いて空港着。

途中で見つけたサラエボオリンピックの標識

なんか人がざわざわしてるなと思ったら、私のフライトでした。キャンセルの理由は、飛行機が来なかったから(?)次の飛行機は2日後にやってくるとだけ伝えられて、あーれま、なんか嫌な予感当たっちゃった、はあextra costじゃんなんて思ったよ正直。

バス乗ってから宿に着くまでのことは前に触れてたから割愛。バルカンの人良いってどういうことって思ったらこれの最初の方読んでみて、きっと伝わるから。

earth-gal.hatenablog.com

 

unexpectedなフライトチェンジだったけど、朝の静かな旧市街とラヤの活気溢れる(ちょうどその日がイスラムイードのお祭りだった)街を見ることができた。マヒアンにもう一度会えるサプライズまで!

朝ごはんBurek

遊び心がよろしい

朝の空気

 

偶然ホステルで会った香港のお兄さんはウクライナ、キーウの大学を卒業して、ブチャで先生をしていた人で。彼は、戦争が始まる2日前に、ビザの関係でウクライナを出ることになったら、帰れなくなったって言ってた。自分の知ってる友達やカフェやレストランで働いてた知り合いが戦争にかりだされて亡くなったって連絡を受けることもあるって話してくれた。

この話を聞いてから、サラエボwalking tourに参加したから余計に考えることもあって。ぜんぶリアルに起きてる話。戦争で亡くなった人は数でニュースになるけれど、彼ら一人ひとり私たちの友達だったかもしれない人たち。そんなことを思いながらツアーの話を聞いていました。今に繋がってる話を過去にするのはちがう気がする。いつだったか、震災の後、三陸に行った時に仮の建物に作られた記念館で「祈るには早すぎる。私たちにまだできることは何か?」って書いてあった。(一語一句は覚えられてないのだけど)

新市街と旧市街と墓地

きっとこれも同じ話。まだongoingなこと。

実際、ボスニア・ヘルツェゴビナには民族間のいざこざがまだ残ってる。首相は数ヶ月に一回、ボスニア人、クロアチア人、セルビア人の代表者をローテーションする形になっているし、争いのひどかったサラエボを含むボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗はいまだに定められていない。国家としての国旗は、争いを生まないために外国人によって作られた意味をもたないもの。国家はメロディーだけで歌詞はない。

意味のないっていわれる国旗

私がいた日の近くがスレブレニツァのジェノサイドがあったタイミングだったから、街中で追悼のために走る100なんて数ゆうに超えちゃうバイカーと遭遇。町の人、エアポートスタッフやバス、電車のスタッフまであの白と緑の花を身につけてた。

白と緑のマーク

トラム

街の中どこでも

 

これちょっと脱線だけど、イギリスではポピーの花が使われます。大戦が終わった後、何も残らなかった大地ででもしっかりと根を張って咲いていたのがポピーで、それ以来平和のシンボルのように扱われてるそう。あまり若者でつけてる人がいるイメージはないけれど、7、8月ごろにはそれをブローチのようにつけたり、バスの塗装を変えたり、いろんな形で見つけることができます。

右の花がポピー(のつもり)

こんな話も、ホステルで一緒になったオーストラリア人のおじいちゃんとゆっくり交わしながら空港に向かった。ウクライナのこと、ボスニアのこと、何時間もフライト出るまで話した。シドニー出身のおじいちゃんはリタイア後ポルトガルポルトに移住したみたいで、ひとつ良いアドバイスをくれた。

「人が生きる上でdecent weatherとメンタリティの余裕が持てる場所を選ぶこと」

まちがいないよなあ、

 

そんなこんなで舞い戻ってきました、トルコ。

アジア側、カディコイは1ヶ月前と違ってみえた。心の余裕かなって思ったり、イードだったのもあるし、最後!って自分にも言い聞かせてたからか、前はいらいらした人ごみが活気だった。この旅のおわりにふさわしすぎる冗談かい?ってくらいの夕陽+堂々たるモスクたち。綺麗なもの見たり感動するとため息がでるってほんとだった。

これに合う言葉はもってない

その後、直感で食べたサバサンドはうま、ふわ、じゅわだったし、前に可愛いって思ったハンドメイドの雑貨屋さんこっちだって曲がった角の横にあったのはさすがにびびった。

期待以上!

 

バグラバ屋さんの女の子はすごくウェルカムで学生トーク盛り上がっちゃったし、出国のスタッフは絶対いらんことまで聞いてた(笑)

空港着いてイミグレ通るときなんだけど、名前呼ばれたからなにかのQsだと思って真剣な顔したら(未成年に見られがちだからちょっとでも信頼感をだそうとしてる)、”Good morning!(これsunshineタイプのぱあっと笑顔ね)”

そりゃ笑っちゃうでしょう。朝5時のテンションではないのよ。続けて、”トルコ好き?今日はどこ行くの?(チケットに書いてある)シェフィールドってどんなところ?いつトルコ帰ってきたい?”すごい圧じゃんあは

 

最初ブックした時(オリジナルフライトキャンセルなった日)には、トランジットが11時間もあって、もうエネルギーもでてこないし空港泊でいっかって思ってたくらい。

ここまで楽しんで、笑って終われたのはきっとアンガスのおかげでした。アンガスはアルバニアで出逢ったインスパイアの塊のような人です。それを分け与える様子はもはやあんぱんまんでは?

その時のお話はここにあるよ、もし気になってたら。

earth-gal.hatenablog.com

トルコフライトの話をして、空港でてトラベルしたらいいじゃんって一瞬でメッセージきた時は、もうこっちは疲れてきてるんだわって思いましたとも。ごめんよ。でもそう言ってくれたから、エアポートからカディコイバス調べたし、宿ブックする気にもなったの。ちょっと注意書きしておきたい、私がlazyなのもあるけど、空港から市内まで、感覚の距離は成田から東京都内です。layoverで出るにはちょっと考えものな時間帯でもあったからうううってうなってた。のり気じゃなかったけど結果大成功。

眠気ふっとんだ朝日

この体験でなんか無双状態になったところでもう1つのレッスン。

うまくいくような気がしてたのは、帰るの嫌って言ってもいいんだって教えてもらったから。嫌 ≠ 決断をまちがえたが成立しないことも。だから、もう嘘つかなくていいし、何が自分に合ってるのか見つかっていくのピース探しみたい!

こんなことを書き留めながら空港のカフェでシミットを食べながらゲート待ちしてたみたいです。

 

ふう、ようやくお話イギリスに戻ってこれた。あと一回だけキプロス・トルコ・バルカンの旅のことを残すので、またふらっと遊びにやってきてやってください。たった6週間をまとめるのに1年はさぼりすぎね。あー長かった。

それではあなたの1日、なんて言わずに1週間があったかいものになることを願って!

アディオス!

 

p.s. おいしいご飯(主に肉)を載せきれてないからこちらへどうぞ。

ボスニア流野菜スープ

エコノミーライスみたいに選べる

米とパンのコンビネーションは親近感

ボスニアコーヒー

生姜焼きをもっと柔らかくしたやつ

チェバビを一枚のピースにしたもの

これまたおいしいとまらない

Burekできたて