ユナ旅モノガタリ 9カ国目(2)🇨🇾
ハーイ、ドーハなうのユナです。実は一時帰国で2年ぶりにバリックカンポンです(Google翻訳どうぞ)
かれこれ30分くらいデーツ食べようか決めきれないくらいには脳みそ稼働停止してる。空港泊2日目、時差も合わさってもう朝か夜か何日目なのかわからないし、なんか節々痛いしおばあさんになりました、はやくおすし食べて回復したい(というのも最寄りからの飛行機とれなくて3日間かけての大脱出)
のこり4時間のlayoverでこれを仕上げるぞという気合いのもと、キプロスのお話をカタールから愛を込めて。
追記:気合いと思いはかみ合わないようで結局1ヶ月後、同じドーハにてイギリスに帰るタイミングで書きおえまして。ありゃ。
キプロスはヨーロッパ唯一の分断された首都をもつ国。
1955年にはじまった紛争がまだ続いてることになってる。ギリシャとトルコの代理戦争って考えたらわかりやすいかも。南側のキプロス共和国(実質ほぼギリシャ勢力)と北側の北キプロス。北キプロスは独立を宣言したけど、世界でトルコだけそれを認めていて正直なぞエリア。ただ言語はトルコ語だし通貨もトルコと同じトルコリラ。飛行機もトルコにしか飛ばないというねじれ具合。
私は南から入って首都をこえて北からトルコに入ったけど、なんか逆は難しいかほぼ不可能らしい。北に先に入国しちゃうと共和国側からしたら不法入国って扱いになるそう。
まあ、旅するときはお気をつけ〜〜
さてさて、話は南キプロスから始まるんだけど、パフォスの朝はザ・ローカル。ホステル同室の早起きおばけトラベラーたちのおかげで7時前からおさんぽ。
お昼の時間だと観光客がメジャーのレストランはおじちゃんたちがコーヒーを飲む場所に変わってた。古い工房で靴や藁いす、自転車を治すおじちゃん、時間がゆったり満ちあふれてた。瞬間がこぼれていかないようにそっとすくって書き留める。
旧市街は大改装真っ只中でどんどん綺麗におめかしされてたけど変わらないこともある。というより、変えてないのかもね。
パフォスはそこが好きな人が多い気がした。
宿で働く口悪めのオーストラリアから移住してきたティモン。悪態つきまくってたけどそれでも10年してキプロスに戻ってきたかったなにかがあるんだと思う。
シカゴからやってきた、携帯の充電機の代わりにイスラエルピーカンの物々交換したジョン。
ワシントンからイントロバート寄りだけど仕事リモートはじめて数年の旅のはじまりを一緒に過ごしたクロエ。
ずっとみんなの体調とか気分を気にかけてくれた宿のおばあちゃん。
道端ですれちがってもあいさつ返してくれる町の人。忘れかけてたこの感覚。旅なのに自分探しじゃなくて自分に戻る。還る旅。
キプロスはマレーシアみたいなバイブスで、少しアジアに近い。人なつっこくて自分にバリバリはってたバリアがはがれていく。どんどん身軽になる。たった5日間のキプロス滞在、なのにもう数週間もやってるかのよう。ここは人と出逢って人と近くなったところ。
私はless attached to peopleだけど別に人が嫌いなわけじゃない、というかむしろ大好き。そんなメンタリティの人が旅人にはたくさんいる。だからこそ一期一会の寄り合いを大事にしたいと思うんだなあ。この広い空の下、偶然交じった人たちとすごした時間は宝物。
きっと最初のレッスン、飾らない生き方をしよう。
起こること、人の行動だったり食べ物だったり、観察してあーこれがこの国の当たり前かってその一言で終わらせないこと。勝手に納得しないこと。だってそれは好奇心の芽を自分でつぶしてしまうことだから。
例えば、首都ニコシアには教会にミナレットくっつけたようなモスク、、?って一瞬困るような建物がいくつかある。あーこれが普通かって思ったらそこで終わりだけど、実際はビザンツ帝国の名残からベネチア、オスマントルコ、イギリスの支配を乗り越えてトルコとの対立が続くニコシアの歴史と結びついてる。ちがう宗教の支配下になってるから全部建てかえるんじゃなくて付け加えたり、ちょっとDIYして使ってる。現役。
そんなニコシアまではローカルリゾートパフォス滞在後バス移動。地元の学校やらを通りぬけて到着。学校は日本と似たような作りで、校庭もかなり広めになってた。たぶん小中学生くらいかな、制服を着てる子どもたちが多かった。だいたい首都までは2、3時間でついちゃうからキプロスはかなり小さな島国です。
ニコシアは名古屋走りをする車の多いヨーロッパ味の強めな場所(ただし南キプロスに限る)マックやらスタバとかフランチャイズは基本的になんでもある。
キプロスのややこしさはもうなんとなく掴めてきてるかもしれないけれど、本当に不思議なところで南北の移動は基本的に徒歩。
南キプロスのイミグレを通って30秒ほど北に進むと北キプロスに入国できて、急にトルコの雑多なローカルマーケットに放り出されたみたいなところに出ます。ここ脳大混乱。フィジカルのどこでもドア。それくらい世界が違う。私の感じたイメージは南が現代、北が昔。ちょっとキューバみたいな、数十年前に生きている。
違うことそのいち。言語。
言葉が南側はギリシャ語キプロス方言みたいな感じなのに対して、北はトルコ語。偶然入った北キプロスの民族資料館みたいなところでハサンというおじさんが色々教えてくれたんだけれど、印象的だったのは言葉は違うに決まってる、当たり前でしょってテンションだったのに文化は南も北もキプロスだから同じだよって言われたこと。私からしたらん?ってなった。そこって別になるんだって。
例えば、伝統工芸は同じで木彫りが昔から盛ん。前は、花嫁道具とかでタンスや扉、鏡や棚とか身内で彫って持って行っていたそう。同じくレースの編み物もそう。
今はあまりそういう家庭は少ないそうだけれど木彫りを学びたいとその資料館/ 職業訓練校にくる若い人も多いそう。その場を見せてもらったけれど、女性も男性も両方で、これ作れるようになりたい、だって美しくて残していきたいでしょってピュアな気持ちでやってるんだなとあったかい気分になった。
ちなみに、風土食もとても似てる。というか、ほぼ同じだけど名前が違ったりとかその程度。私のおすすめは米のブドウの葉包み。ちょっともちっと感の強いお米をブドウの葉で包んで蒸してつくるの。中東からバルカン半島にかけてよく食べられてるごはんです。地域によって、そこにソースをかけたり、なにかと煮込んだりって差はあるみたい。
ご飯系の文化はキプロス全土でシェアされてて面白い。
コーヒー文化もそのひとつ。なぜかコーヒー豆は育たないのに道端でコーヒーを飲むっていうのがカルチャーに組み込まれてる。
昔、男性にとって外(カフェや道端)でたむろうってのが憩いの場になっていたそう。ほんとうに小さいカップに入った濃いコーヒーを水と混ぜて調節するっていうのがキプロス風。イギリス人にとってのパブみたいなもん。
逆に女性は同じことをするけれど、場所が家でご近所さんと井戸端会議っていうのがコミュニティのつながりをつくっていたみたい。
今は特に性別でわけられていることはないけれど、それがキプロスのそこら中ですぐ集まってコーヒー飲む文化を形成した。すごくいい時間の使い方してるなってみてて思ったの。
違うことそのに。民族。
言語の浸透からもわかりそうだけれど、かなり見た感じも違う。お顔も北はアフリカ系が多く、中東ほど濃くはないけれど南のギリシャ系とは似つかない。観光客も南側のほうがはるかに多い。
違うことそのさん。通貨と物の価値。
北がほぼトルコの属国化してるから北はトルコリラ、南はユーロを使う。だから南北の物価の差がすごい。これ実はバルカン半島の話にもつながってくるんだけど、結構隣との物価の差がある場所って多くて、地元の人は日用品の買いわけをうまいことしてる。トルコから入ってきやすいスパイスなんかは北で買って、お酒は南で飲むとか。人の行き来はなんの問題もないから、彼らにとったら隣町に行くのにちょっと関所とか通ってるイメージなのかななんて思ったよ。キプロスの街中で”キプロスはひとつ”みたいなストリートアートをよく見かけたけれど、リアルに通貨の差はかなりなひっかかりになってしまうんじゃないかな、きっと。
違うことそのよん。国旗。
南側から北を見ると正面にある山の斜面には煽ってるんですかってくらい大きなトルコ国旗と北キプロスの国旗がペイント(?)されてる。南側は独立国家だからキプロス共和国の旗があるんだけれど、なぜが首都付近はその旗よりもギリシャ国旗がそこら中になびいてた。あと、ギリシャの国教会の旗。
と、いつものごとく長くなっちゃったけれど、これにてキプロスdone!
あまり知られていない国だからこそこれ読んでキプロスおもしろ、行ってみたいかも、どこにあるんだなんて興味もってくれたらすごく嬉しい。知らないから怖いってもったいないじゃんね。
次はトルコの西側、イギリス日記も再開する〜
ではチャオチャオ!
ユナのヨーロッパ旅備忘録
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