ユナ旅モノガタリ 14カ国目 🇲🇪
ちゃんと期待(希望)をうらぎらないイギリスからこんにちはユナです。
朝はしっかり晴れてたのに、1週間ぶりの太陽だったのに、マンチェスターから帰る電車の中、gloomyになった天気が嘆かわしい。でも、ピークを越えてく風景をみてると、私の人生これからの中でも国立公園を超えてお仕事いくって経験はきっとない。ほんとうに愛おしいことが日常に書きとめられて気がつかないのはもったいないことね。ありがとうの恩送りには敏感でいたいのです。
今日はところ変わってモンテネグロ、KotorとPeratに凝縮した3日間のお話。
忙しすぎてわたしの日記数日間からっぽ。ちょっと駆け足になるけど、はじまりはじまり。
最初ついたときは発展しすぎててびっくりしちゃった。実は、モンテネグロ、EU国。最初はんーって思って、来たのまちがってたかなって不安になったけど、walk-inで見つけた宿が大当たり!
受けつけの人となんでか意気投合しておしゃべりしてたら「クラシック興味ある?」って聞かれて、なんとその夜行われてた野外クラシックコンサートのチケットをいただいてしまって。
というのも、その人シフトが入ってしまったからいけない⇨捨てるのもったいない⇨なんか音楽すきとか言ってる旅人きた(わたし)ということだったらしい。
ああなんてこと、ありがとうスキップで町にくりだした。この宿は旧市街ど真ん中。ここのold townはold-new townになってたけど、それでも入江の綺麗さは変わらない。海より湖とかが神聖視されるのわかった気がした。
さてさて、お腹もすいたし腹ごしらえ。ここで今まででいっちばんおいしいバーガー食べたの、未だに不動。もう人ごった返しててんやわんやの店内。
いつぶりかしらってくらいでアジア人の女の子に会って、旅してるの?なんてお話した。台湾からやってきた彼女は春と夏をめいっぱい使ってヨーロッパを周ってた。ちょっとこの後のクレイジーストーリーに繋がっていくからどうか覚えといてね。
私はわたわたご飯食べたくなかったから旧市街の外壁跡に登ってみて、入江が見えるところで食べたの。
もりもりかぶりついてるの微笑ましそうに通りすぎてったファミリーがいたなあ。もう周りのこと気にしてられないくらいのおいしさだったから、ひとりごとたくさん出てきちゃうわけ。もしモンテネグロ、コトーに行く機会があったらもうぜひここ行って。
さて、気分変えよかって宿ちがうところにbookしなおした2日目。
もうみんな偶然ストーリーに疲れてきてそう(笑)でーもーとまらなーい。
その予約した宿がトルコの国境町エディルネで会ったジョセフと一緒だったの。しかもエディルネで会ったのもたった一瞬、私がホステル去る直前にチェックインきて。ふとおしゃべりしてみた。イギリスの人だったから、勝手に親近感。もう逆になんで?なにがどうなって?もはや偶然なんてことはないのかも。不思議な物事はくさりのようにどこかで繋がっていて、順番じゃなくても5年後とかに伏線回収してきたりする。あれ?ってなると、おおきな流れのことを思いだして、腑に落ちる。きっとこれをcarefullyに辿っていくと、私のほしいものに到着するような気がしてる。ざっくり80年の壮大な物語。いまは承あたりなのかな。まだ起きてもないかもしれないね。
ティーネイジャーの時にちょっとした夢があったの。隠れ家みたいな場所で人のライフストーリーを聞いて製本する人。お薬調剤するみたいに、その人に合わせた皮の表紙をえらんで、彼/ 彼女のお話をまとめて、丁寧に紙を編んで、まだ終わらない本をつくる。ルリユールっていう職人仕事なんよ。素敵でしょう。
はーい、線路もどして、ミラクルジョセフ、せっかくだから夜ご飯する約束してそれまで要塞に登ってみる。旧市街見下ろす要塞跡、このスタイル見かけること多くて、日本のお城と城下町だなって思ったりなんかもした。
ここの要塞跡、正規ルートが正面にあって、入場料はらって数百段の階段をひたすらに登るっていう過酷きわめる道と反対から、ヤギを横目に坂道のぼって、要塞の裏側、壁のすき間に手作りで取り付けられた危険は承知でどうぞのラダーから入る方法と2つ。私はもちろん裏側です。人もいなかったし、はしご登るのおもしろそうだったし。
くもり空で、風も吹いてきて、もう夕日みれないかと思いながら行ってみたんだけど、上でアメリカ人のアンナに出逢って、ずっとしゃべってたら急に晴れてきて、入江の向こう側に消えてく太陽を見れましたとさ。
海がだいすきなアンナは、いろんな国を旅して、港町に行って、船で過ごした話をたくさん聞かせてくれた。すきを追い求めるとあんなに魅力的な目で話伝えられるんだ、私もおなじもの見てるような気になった。あのほら、鳥を見てると自分も空飛んでるような感覚になるじゃない?4Dみたいな感じ、あれと一緒。
ひとり旅だ、いやもっと言うと究極ひとりぼっちだって思ってたよ今まで。かきなぐったまま裸のユナモノガタリ実はたくさんあって、これはイギリスにやってきたばかりのひとりごと。
”こっちにやって来て6ヶ月くらい。ロックダウンでってのを抜きにしても正直自分でもわかるくらいやられてる。もしかしたら宇宙のどっかの星がおうちで、だからこんなに孤独を感じるんかなとか思いはじめるくらい(笑)いまはははって笑えるけどそんなくらい。
なんやかんやこっちきてさ、最近考えることちょっとある。機会もらったり勝ちとったり?して世界中いろんな場所に行けてるけどこういうのははじめてだなって感じる。白人、アジア人って人種の違いをおもいしる「外国」
自分がまわりの人と同じなのに同じじゃない。私の学部(オンラインだから全員知ってるわけじゃないけど)でアジア人はいない、というか留学生が2人しかおらんくて。ー万人規模の大学に通ってるけど日本人は私ともう1人だけ。とにかくびっくりするくらい初めてずくし。それくらい遠い場所にきたのも日々痛感する。
ふと思いだしたんだけど倫理の最初の方のクラスでさ、マズローの欲求階級説ってあったじゃん。一番うえがたしか自己承認の欲求だったけど下のほうに所属の欲求ってあった。もうねそこ、いまそこ(笑)
ガーナにも似ていることない?って最初は考えたけどぜんぜんちがう。差別がっつりはなくても小さいことはよくあるし。クラスメイトに何言ってるかわからんのだけど、ちゃんと話したら?的なことを言われたり(私の言ったことに返事してるんだから理解してるじゃんって思ったけど)、道端で知らん人が私にだけきこえるようにニーハオ言ってきたり、スーパーのレジで無視されたり。うーーん、なによりも無関心ってこんなに痛いんだって知るには十分な時間だったなって思う。”
コピペしたからちょっと話から外れてるところもあるけど、すごいbelongingを求めてた。いいタイミングなので昇化させて。パンデミックもあってみんなギスギスしてたのは絶対あった。いまは差別的なことされることないし。ただ、なにが言いたいかっていうとさ、ひとりだと思った旅が、自分守ってた鎧はがしてくれて、フリーダムしたから(羽目を外したわけではなく)人にアプローチできる余裕できたんだと思う。だから、自分が描いていたよりさわがしい旅になった(笑)うん、よかった。
コトーって観光地だからアクティビティもたくさんあったし、ボートツアーもできたんだけど、どれもなくても満たされたからやめた。代わりにPeratってバスで30分くらいの小さな街に向かってみた。
ここも絶好の海水浴場なのでひとはたくさんだったけど、もうマジョリティに消えていく感覚はなくなってた。
自分のすきなように海に揺られて、石道でちょっと迷子になって、17世紀の教会にたどり着いて、でもそれより、隣のおうちで洗濯を干してるおじちゃんの方が気になったけど、それでいいね。あんな風に歳をとりたいと思ったよ。
コトーからボスニア入りはちょっと調べきれなくて、宿のお姉さんが代わりに電話してくれたり(日本だったら当たり前かもしれないけど、イギリス人だとやらない人の方が多そう、チップ渡さないと)、バスラスト1席を予約した時も、現金手元になくてatm行くために荷物を駅員さん見張ってくれてて、バス来たから急いでって遠くから声かけてくれたり、優しさをうけました。まだ終わりじゃないけど、バルカンは人がほんとうに良い。すれてなくて、あったかい。
なんかさ、ネイティブアメリカンの概念に、贈り物にはスピリットがあって、これをずっと動かしていかなきゃいけない、そうすることで世界は豊かになり、心も豊かになるってのがあるのをいつか本で読んだの。私のイメージ、贈り物じゃないけど、誰かからのありがとうってそうやって繋がっている輪っかだと思ってるから、日常の中で自分も次へってできたらいい。
今日の私の内側いっぱいだ。読むの疲れちゃいそうあは
そろそろお開きにしましょ、今度はおわりの国、ボスニア・ヘルツェゴビナから。
ここまでどうもありがとう。
今日もなにか幸せな出来事がありますように!ラブ!
p.s. もうすこしPerat気になる人へ。ちら見せ。