ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナモノガタリ その13

 

ハロー2020!ハローみなさん!

マレーシアがクリスマス終わってから春節大切り替えをしたので思ったより年末ムード感じれなかったとちょっとふてくされてるユナです。

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2020

2019年から2020年に年をまたぐように1週間かけてマレーシア半島の西側をまわりました。その記録。

もうまた離れたくない理由をまた見つけてしまった、困っちゃうや(笑)

 

行く前にはさんざんマレーシア人にさえ「何があるかわかんないから行っても行かなくても」なんて言われたけれどほんとうに美しい場所でして。

日本語辞書で美しいって言葉以外にぴったりな言葉がないかなって探してみたんだけどだめね。どれもピンと来なかった。

 

 

私がはじめに寄った街は、Alor setarというところ。

なんだかんだあってひとりで街をまわったの。

お腹がすいてきたときにふらっと立ち寄った喫茶店陳海飯店」。まさかの3時間滞在(笑)話が尽きなかったんだよなあ。

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陳海飯店とおじちゃん

 席に着くなり話しかけてきたおじちゃん。Alor setarのことをたくさん教えてくれて、そこの人の考え方にも触れられた気がしました。

 

Alor setarの名前の由来。

どちらもマレー語でAlorは川が登っていくところ、小川っていう意味でSetarはアロースター周辺にある木の名前であること。

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海運と稲作で栄えた町

これを見たらわかるように街の真ん中を川がはしっていて、これが海まで繋がってる。約100年ほど前までは他の国からの船とかが港から街まで登ってきて商売をしてたんだって。それで貿易の中心となったのがPekan Cina(中華街)エリア。

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こういうお店がたくさん立ち並んでる

私が偶然入った喫茶店があったエリアでした。

なんとこのエリアの建物はPre-War Buildingって言って戦争が始まるより前からずっとあるそう。

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なにを見てきたんだろう

このAlor setarをとり囲むのは、端が見えないほど一面に広がる水田。ここを通り過ぎた時に私の頭の中に流れてたのは少年時代(笑)すこし懐かしい日本の田舎みたいな風景だった。

Alor setarはマレーシアでもあまり旅行先としてポピュラーではないけれどとても歴史のある場所で、3年と8ヶ月の間は日本に統治されていたこともあったと。

 

 

おじちゃんと話してるうちになんかお店にいた人みんながお話しにまざってきてなんだかおうちに帰ったようかのような気分でした。すごい心地よかった。

お店なのに近所の家をノックするかのようにやってくる人たち。もはやいろんな人が片付けを手伝いはじめて誰が店員さんなのかわかんなかった(笑)

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おばあちゃん家みたいな雰囲気

そんな中で話題になったのが「幸せってなんだろうね」ってこと。

私がクアラルンプールで勉強しててみたいな話をしたら、「そうかそうか、KLはすき?」って聞かれて。

正直いうといまもまだKLはそんなにで、どっちかっていうと地方の方がぜんぜんすき。日本に比べたらゆるいなあって思うこともあるけど、それでも時間の流れはきちっとしてると思うし、どこか画一化されてきてるところが強くて。ターゲットが富裕層だっていうのもよく見えるし、ギラギラした感じが私にはあんまり合ってないなって思う。

 

こんなことをふわって伝えたら、「そうだなあ、あそこは全てが早すぎるんだな俺には。悪いことではない。お金を稼ぐことでできることも増えるのは本当だよ。でも、それがどんな人にとっても幸せかどうかはちゃんと自分で知らなきゃいけない。」って。

 

実際、Alor setarの周りは大きな街もないし、これと言った観光地はそこから船で2時間ほどかけていくランカウイ島しかない。(by 地元民)

街もコンパクトで娯楽施設がたくさんあるわけでもない。

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一歩町の外に出るとこんなかんじ


そこにあるのはゆったりと流れる時間と人と繋がることのできる空間。

朝ごはんをふらっと食べに行ってご飯を食べながら新聞を読んだり人とおしゃべりをする。ほんとうにとてもシンプルな暮らし。

 

おじちゃんがこれも一つの幸せだよって。

少なくともおじちゃんにとってはこれが満たされるって言ってた。

 

ないものねだりなのかもしれないけど、私にはその時間の使い方が羨ましかった。

そしてその空気感を創り出せるおじちゃん、おばちゃん達をとても素敵だと思った。

 

都会にいると?時間がお金っていう物質的なもので取引されている中にいると?

もっともっと早く早く早くってなっていく。

人と話す時間もないし、それが危険だと教えられることもある。

その中で得たお金でなんでもできると言われても私には響かないや。あくまでも「私」には。私の幸せはそこにはないんだな。五感で感じて心が震えるようなものを大切にしたい。うん。これ人の特権だと思ってる!から!

 

たくさん教えてもらった後、ごちそうさましてそろそろ行こうかなってしてたら、オーナーのおじちゃん(違う人ね)が

「日本のこととか考えてることとかたくさんシェアしてくれてありがとう。お代はいらないからまたきてよ」って。

ちがうじゃんかあああああ、私が教えてもらった側なのに。

みんなニコニコしながらさ、「気をつけるんだよ、明日もいるならおいで」って言ってくれて。

ほんっとうに素敵な人であふれてる場所なので、マレーシアきて時間あったら寄ってみてください。

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おじちゃんの日常

 Alor setarでの2日間。たった2日、されど2日。

私が美しいと思ったのはなにか豪華絢爛な建物でも高価な芸術品でもなかった。

ローカルの人たちがなんでもない喫茶店で(Kopitiamって言います)話してたりするそのなんでもない生活というか暮らしに魅せられたの。

そこの食べ物だったりほんとに名前もないようなレストランでもそこの人々の日常におじゃましますして。見えるものがたった一面だったとしても私にはとてもプライスレスなものに映った。たまにそれは泣きたくなるくらいに心に響いてきて。

観光地に行って人とカフェでおしゃべりしてましたってなんじゃそりゃってなるかもだけど、もう一生出逢うことのなかもしれない人たちと過ごした時間って信じられないくらい大切に感じるの。

連絡先もなにも知らない、でも彼らの記憶には残る。

そして、私の記憶に残る言葉たちの温度。

 

なんだかんだマレーシアがすき。

ここの人がすき。

言葉がすき。

風景がすき。

食がすき。

この国が持ってる色がすき。

 

すきだからもっと理解したいと思うのです。

そこらへんにあるロロン(屋台的な)の食べ物屋さんで始まる会話も

モスクや教会や寺院が建ち並ぶ風景も

たどたどしすぎるマレー語を理解しながらくすっと笑いかけてくれる人たちも

全部愛おしいなって思います。

 

2020年、ここで過ごせる日もそろそろカウントダウン。

いっぱいいっぱいマレーシアのこと伝えていけるように。

ずっとずっと強くしなやかな人でいれるように。

今年はギア切り替えてぐーーーーんっていく。

愛を込めて。ちゅっ!

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物語のはじまり