ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナモノガタリ その12

 
どうもどうも、こんにちは〜
2019年おわりまでもう30日切ってると思うとちょっとぞっとしたユナです。今はそんな焦りよりもテストからの焦りの方が多いんだけども。ははは。
 
はい、話を戻してディパバリ当日!
かなり日が経ってしまったのでディパバリってなんだった?ってなった人はユナモノガタリ その11を読んでみてください。
私が体験したことを書いていくけど、もしかしたら中にはプンジャーブの文化も混ざってるかもしれない説ある。だから、もっと知りたいってなった人は自分で調べてもらうことをおすすめします(笑)
 
まず、朝起きたら家の中で最年長(または一番大黒柱的な存在の人)にオイルを塗ってもらって浄化するところからはじまる。
昔は、全身にオイルを塗ってからシャワーを浴びて支度するっていうのが当たり前だったらしいけど、いまは簡略化で髪の毛だけオイルを塗ってもらいました。

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アシュママが持ってるのが髪につけるオイル
シャワーを浴びたら、スーツって呼ばれる、いわゆる〜なインディアン服に着替えます。安いと3000円くらいからで揃えられるみたい。

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いろんな巻き方があるスカーフ
朝ごはんはアシュウィタままの粋な計らいでバナナリーフに乗ったやってきたチャパティとお茶。面白いのがこのお茶のことを日本語と一緒で彼ら「チャ」って言うの。「チャ飲む?」って聞かれた時「チャ好き〜」って返したら「なんでわかったの?!」ってすごいびっくりされた(笑)そして、このバナナリーフはお家の庭からとってきたものだったのです。バナナリーフだとそのまま廃棄してもゴミにならずに土に戻ってくからとても愛のあるチョイスだと思う。洗剤で水を汚すこともないしね。

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みんなパジャマ(笑)
 
いよいよオープンハウスのはじまりはじまり〜
近所の人、人種にかかわらずぞろぞろやってきました。
 今回のハイライトは地元のテレビ局がやってきてインタビューされたこと。アシュウィタの家には、私(日本人)と友達(インドネシア人)に加えて、中華系のおじちゃん達とインディアンの子どもたちとかたくさんいていわゆる「satu malaysia」な状況だったの。(この言葉のちゃんとした意味は知らないけどマレーシアはいろんな人種がいるけれど誰が一番ではなくてみんなでひとつってことらしい、マレー語でsatuは数字の1です)それを聞きつけたアストロの局の人がやってきて半日くらいずっとシューティングでした。面白い経験させてもらったなと思ってます。

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いつ放送されたのかはなぞ
その撮影中、オープンハウスに来てた大学教授だった中華系のおじちゃんたちとインディアンのファミリーと話す機会があって「マレーシアどう?」って聞かれたの。だから「いろんな人たちがこうやって違う人の文化を祝ったりしててとてもとても美しいと思います」って答えた。

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一番右のおじちゃんです
そしたらね、すんごい嬉しそうに
「そうだろ、うんうん、政治*は腐ってきてる。それでも、私たちもこのmixed cultureが好きなんだ。文化が違うから一つにしていく必要はなくて、みんなでそれぞれを守っていかなきゃいけない。みんなの国なんだ。」 
って返してくれて。
 
*政治の世界はマレー系が優勢だから、マレー系じゃないとマレーシアで大統領にはなれなかったりする、ただただ偏ってるわけじゃなくて歴史によるものでもあります
 
他の人も「面白いでしょう、私たちは中華系だから中国語を話すし、そっちのファミリーはインド系だからタミル語を話す。それじゃ会話はできないんだけど、私たちはみんなマレー語で繋がれるのよ。こうやって他の人種のお祭りをみんなで祝うことだってできるの」って話してくれた。マレーシアの人の中でこうやって自分たちの国はまだまだ良くなれる、って経済的な発展じゃなくて、文化的な発展をみすえている人たちがいることを知れたのは大収穫だったなあ。

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なぜかこの方々の前でインドの踊りを披露しました

 

この長い1日が終わるころ、もう一つ心に残ることがあったの。
急に、アシュウィに「ユナはさフォーマルな日本語も話せるの?」って聞かれた。そんなん当たり前すぎるから冗談かと思って笑いながら「もちろんだよ、高校までずっと日本語で勉強してたし」って返したの。
そしたらさ、「そっかあ、いいね。私も自分の言語そうやって学べたらよかった」って。
 
どきっとした、ここは多民族国家だから学校で自分のルーツがある言葉を習うとは限らない。アシュウィはプンジャーブ語が自分の言語だけど、それは家で話してた程度でメインで使う言語は英語なわけで。プンジャーブ語は今また勉強し直し中らしくて。
 
 
なんかこれを聞いて、すぐに思ったのは私たち日本人、自分の言語を学校で勉強してきて、インフォーマルもフォーマルもちゃんと使い分けられることに自信と誇りを持っていいんじゃないかなって。とても繊細な言語をあやつれること。日本人みんなとはもちろん言わないけど、英語が話せないからってなんとなく引け目を感じてる部分ある気がするの、風潮的にも。まあ、私自身かなりそうなのです。だから、アシュウィからこの言葉を聞いた時、マインドがひっくり返った。

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好奇心を大刺激してくれるふたり
それでね、当たり前って結局わたしが持ってる全てのステレオタイプなのかなとも思ったよ。
もしかしたら、アシュウィは私の反応をみてかなしくなったかもしれない。
悔しく思ったかもしれない。
怒りたくなったかもしれない。
でも、アシュウィが聞いたことは私にとっての「当たり前」だった。疑問も持ったことがないくらい。極端にいうと、たくさんの人が母国語の識字率が低い国といわれて思いつくのは、きっと発展した国ではなくてその反対の教育が追いついてないエリアなんだろうな。
 
うまくは言えないし自分でもまだはっきりとはわからないけど、「当たり前」は押し付けなければそれだけでいいんだと思う。自分の外にも内側にも。だって、それはみんなそれぞれ生きてきた環境が作り上げた一つのアイデンティティだから。それでぐさぐさ人を傷つけるのは最悪だけれど。
マレーシアに来て、ここの「当たり前」をたくさん知るけど、全部に自分の「当たり前」にはしなくていいじゃんって気づいた。自分がなんなのか迷子になりそうになるんだ。だからね、うん、新しい環境に自分をおいたときにまわりの人の「当たり前」と自分の「当たり前」を天秤に乗せる必要はないね。知らないことばっかりだって周りに遠慮したり、もっと頑張らなきゃって思いすぎちゃったり。無理して自分の「当たり前」の書き換えをするくらいなら、しなくていいはず。
 

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わかんなくなったらこどもに戻ればいいのさ

 

*「当たり前」に対するリアクションが相手を馬鹿にするものだったのならごめんって謝るのがもちろん合ってると思うよ。誤解しないでね。
 
 
以上です!半分以上が自己満ブログです。。ほんっとうに長いのに読んでくれた人ありがとうございました。
 

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私もみんなもはなまるな今日になってますように
 
 
 マレー系優遇政策について