ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 7カ国目(2)🇮🇩

 

こんにちは〜空海の映画の音楽をきいてるとすごい集中できることに気づいてしまったユナです。タイトルはわかんないんだけど。

 

まず最初に心からのありがとうを伝えたいと思いまして。

有難いことばっかりなんです。

前の2つのブログはいつもみたいに書き殴ったわけでもなく、言葉を煮込みましたっていったようにちゃんと練りました。なんかね、2020年始まってからもずっとブログ書きたかったのに、なぜか言葉が独立してしまってぜんぜん繋がらなかった。だから、一行とか二行とか書きはじめたドラフトたくさんあるんです(笑)そんな時に偶然、日本の大学を受験したときの作文?がパソコンに残ってるのを見つけてよんでたらぶわああってきた。それが前の2つ。でも、自分の中身の話もだったし、うわ恥ずかしいかもしれない、意識高い人ぶってるなんて思われたりするんかな、とも考えた。オンラインの世界でやってることだからオフラインで直接面とむかって話すのとはわけが違う。だから、そうやって書いたものにメッセージくれたり、共感してくれたり、意見をくれたり。ほんとうに嬉しかった。

ほんとに本当にありがとうございました。

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calm

さて今回はインドネシアの話の続きをしようと思います。もうかれこれ半年以上前の話になってしまった(笑)

 

なんじゃそりゃって人ばっかりと思うから、さらっとおさらい。

2019年の夏に、友達の家があるインドネシアの左側にあるスマトラ島にいきました。その中でもおじゃましたのは西スマトラと呼ばれる地域にあるBukittinggi。

今でも伝説がのこる2つの大きな活火山と休火山に囲まれた街、それがBukittinggi。

(ちなみにBukit tinggiと書くと高い丘って意味になって、マレーシアの街の名前になります)

 

第一弾はこれ!Bukittinggiにのこるミナンカバウ人の世界最大の母系社会文化と食べ物についてでした〜

earth-gal.hatenablog.com

 

今回は建築と歴史をすこし。

 

前にミナンカバウ人の文化についてすこし触れたけど、その中でも彼らの建築様式は本当にユニークでおもしろいの。

これがその建築。

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街の人しか立ち入れない集会所

見てわかるように、屋根の先端が空につき上がるような形になってます。

 

まずミナンカバウって彼らの言葉で「minang=勝利」「kabau=猛牛、闘牛」って意味なの。ミナンカバウの人たちにのこる有名な伝説のひとつが名前の由来だとされてる。

 

昔々、ミナンカバウ人とある王子が境界をめぐる争いをしてた。その時、ミナンカバウ人は直接的な戦いをさけるために二頭の水牛を争わせて勝ち負けを決めようと提案した。王子はそれを承諾し、彼はもっとも凶暴な水牛を探してきて戦わせることにした。一方のミナンカバウ人はナイフのように切れ味が鋭い角を持ち、飢えていた赤ちゃんの水牛を戦わせることとした。

戦いが始まると赤ちゃんの水牛はミルク欲しさに大人の水牛のあとを走り回った。大人の水牛は恐怖を感じなかったために赤ちゃんを自らのお腹の下に招き入れてしまう。赤ちゃん水牛はその鋭い角で大きな水牛の胸を破裂させてしまい、大きな水牛は死んでしまった。

 

これが伝説。

この小さな水牛が持っていた角がミナンカバウ人を勝利に導いたとして、彼らの伝統的な住宅には赤ちゃん水牛をモチーフにした屋根がのこされているの。実際に人が住んでる伝統住宅はかなり少なかったんだけど、政府の機関だったり学校だったり、そういうのは建築の一部にそれが名残としてあった。

インドネシアって本当に広くてたくさんの民族が一緒になってる国家だから、自分たちがインドネシア人というよりすぐどこの人って答える傾向が強いと思うんだよね。

例えば、「どこの人?」って聞くと「I'm Indonesian but especially Javanese. 」みたいな感じ。

だからきっとこの角をモチーフにした建築様式も彼らのミナンカバウ人としての誇りなんだと思う。

 

 

街の中心地にあるJam gadangもミナンカバウ伝統の建築様式で建てられてました。ちなみに、この時計の内部システムは有名なイギリスのビックベンと全く同じものでできてるそう。

ここはインドネシアが体験してきた歴史と繋がってた。

17世紀にはじまったオランダの支配、そしてイギリス、再度オランダの支配下に入り、日本軍による植民地化。約300年におよぶ支配の末に手にした自由。

 

これがJam gadangの移り変わりで見ていけるの。

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オランダ、日本、そして独立

一番左がオランダの女王から植民地支配の管理者へギフトとして送られたもの、これが最初。

そのあと3年、日本の支配下に置かれた時にその形を欧米のスタイルからいわゆる神社のようなスタイルに建て替えられた。日本の支配はたった3年だったけれど、その力は強く友達のおじいちゃん世代は日本語が話せたんだって。街のいたるところに日本軍から逃げるために掘られた洞窟があってたくさんの人が亡くなったそう。いまは心霊スポットになってるって教えてもらった。

その後、インドネシアとして統一されてここでも少数派だったミナンカバウ人は政府軍とゲリラ戦を交えた。のちにミナンカバウ建築になるも2度の地震によって損傷してしまい、2010年に今のJam gadang(大きな時計の意味)になったんだって。

 

そしてね、ラッキーなことにこのJam gadangを訪れた日はインドネシアの独立記念をお祝いする日だったの!

街にある全部の小中高、そして消防や警察、すべてのauthorityが山車みたいなのをだして町中をねり歩いてた。

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74歳の誕生日だったみたい

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伝統的なミナンカバウ人の衣装

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Jam gadangでのパフォーマンス

たった1週間だったけどほんとに面白かった!マレーシアとは全然ちがう食べ物、気候、言語に人。

最初からインドネシアの洗礼受けまくりだったしね。入国検査がかなり雑で。まず飛行機の中からマレーシア人と思われてたせいで入国カード全部マレー語もらうし(英語のないのかと思ってとなりのおじちゃんに全部聞いた)そのせいで入国の時ねインドネシア語フルで話されてポカンなるし(笑)出国のときも入り口にエアアジアのお兄さんとお姉さんがいたんだけど、「あなたcuteね、マレーシア人?彼氏いるの?」ってお兄さんに聞かれて、お姉さん隣で大爆笑してるし。最初からさいごの最後までインドネシアにどっぷりでした。

 

思いがけずなんだけど、2019年、インドネシア、マレーシア、シンガポール独立記念日をお祝いできてすごいスペシャルだった。違いもたくさん体感できたし。

2020年なにができるかわくわくしちゃう!ではまた!次の旅モノガタリで!

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今度はパプア方面のインドネシアに上陸したい