ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 10カ国目(3)🇹🇷

 

みなみな、寒空の夜からこんにちは。

右耳にチルミュージック、左耳にエンジニアの解説動画を聴きながらターム終わりの歓びをかみしめているユナです(1ヶ月前に書いたままなのでご了承)。脳みそカオス。フラットみんな終わったはずなのに1月のテスト勉強はじめちゃったりなんかするから久しぶりにブログを綴ってみることにしました。

去年までの自分だったらクリスマス休暇がはじまるこの日があんまり楽しみじゃなかったの。ともだちがファミリーに会いに帰ったり、兄弟が迎えにきたりして見送るだけの日だったから、いいな、あったかいなって思ってた。今年もそれはかわらないけど、人に恵まれたことと感情をえらべるようになって、孤独よりも次に会うのが楽しみでいっぱい。ハッピーはそれに気づけて自分がそう感じるチョイスをするのが大事みたい。だから触覚たててミーアキャットみたいにしてるとおんなじ毎日ってないんだって気づかされるのでした。

きづいたら丘登り生活

 

はてさて、話戻って旅モノガタリです。

こちらトルコはイスタンブルを後にしてエディルネっていう北西部の町に向かいまして。

ずっとリピートする動画とお菓子と水のサービス on the coach


トルコ最西端の古都ともよばれていて、オスマントルコ時代にバルカン半島を攻める拠点になったり、コンスタンティノープル(現イスタンブル)の前に首都だったりとなにやら歴史の深い街です。

どこ行ってもモスクは日本のお城と似た感覚になる

でも京都をイメージしてるとちょっと違うかも、街の規模はぐんと小さくて、洗練された古い街並みがあるというよりかは下町感ののこる暮らしをよく感じられる場所。

 

街角

 

 

もちろん人の行き来は今でも盛んで、というのも徒歩で(がんばれば)ギリシャ、車でブルガリア日帰りできる距離感。だからか街の人もヨーロッパ系のお顔が多めだし、中心街の表記がトルコ語ギリシャ語、ブルガリア語とサラダボウル化してた(キリル文字ブルガリアでできてロシア語なんかにも使われてるアルファベット)

 

やっぱりここへきても私のハイライトはモスク。ここはねじねじモスク(と私が名付けた)ミナレットがキャンディケーンみたいな模様なのがポイント。

本名 ユチュ・シェレフェリ・ジャーミー

モスクの醍醐味、曲線でいて直線の美。

 

もうため息がでちゃう

エディルネ最古モスク、カリグラフィーが特徴



そんなモスクの中にもお茶を飲めるスペースがあるくらいお茶文化発達してますトルコ。水より飲む。炎天下のなかホットを一気。町歩きだってふらふらしてた時もすぐお茶勧められたくらい。しかも街中、特にバザールの中で見かけるんだけど、吊るされ型のトレイにいっぱいのお茶を運ぶ人たち。おじさんだったりキッズだったりばらばらで宅配便かのようにショットのお茶を配達。おもしろいのがその茶はほんとに何屋かわからんところから持ってくる。前観察してたらウェディング用みたいなしっかりした生地屋さんからシュンって出てきた。はて、副業?

 

そんなエディルネMVPをふたつご紹介。

ふと曲がった道の端っこでフルーツ交換してるおじいちゃんらいていいなあって考える前にシャッターを切った。すごい見てくるからはっと気がついて、嫌だったよな、そんな気分にさせてしまったと反省してごめんなさいのお辞儀だけして歩きだした。

日常を垣間見た

そしたら車にのってた方のおじいちゃんにふと呼びとめられて、あーしまった怒ってるって思いながら近づいたら、手にいっぱいのプラム?をさしだされて手招きされた。トルコ語100%のおじいちゃんと0%の私。この時点でもはやハンドジェスチャーと勘だけが頼り。

"オリーフオリーフ"的なことリピートするおじいちゃん。オファーされてるのかなと解釈してひとつ食べたらスーパーフレッシュでみずみずしさ満点。グッドグッド!って伝えたらおわらないオリーフオリーフ攻撃。

いや、どう考えてもオリーブではなかろうって思ってたらどうやら全部持ってけって意味だったらしく7、8つのプラムをいただく。グッドサインしながら走り去っていったおじいちゃんの車。もうなんだか笑いもとまらない。全部持ってかれた(笑)名も知らないおじいちゃんありがとう。

プラムたち

 

そしてエディルネに連泊することになったサルマとの出逢い。

もともとエディルネに長く滞在するつもりはなくて、寄ったのはイスタンブルだけでトルコを知った気になって出て行くのってうーんって思ったからだけで。1日まわったらブルガリアに抜けようって考えてた。そんな時宿で同室になったサルマ。小さな部屋に2人だけだったからたくさん話してた。

彼女はイスタンブルで役所で公務員をしてたけれどまさかの出逢った次の週からエディルネUNプロジェクトアシスタントにキャリアチェンジしていたパワフルレディアフガニスタンとかシリアからの難民をトルコからブルガリアギリシャへ手助けするロール。受け入れ不可が多いらしいからその橋渡し。急な引越しだったらしくまだ部屋も契約できてなかったから数日ゲストハウス滞在してた時にたまたま遭遇した私。

サルマ曰く、役人はsocial benefits多いし給料も高いけどコネがすごいらしく自分がdevelopできんと思って仕事を変えたそう。誰かの親戚とか子供知り合いとかになってるって、トルコのエコノミーはダウンターンの底をつくんじゃないかって言ってた。実質サルマが子供の時に(約20年くらい前)比べて7倍以上トルコリラの価値が下がってる。

 

そんなサルマのライフストーリーは本当に興味深くて、大学生時代にはエラスムスプログラムでヨーロッパはセルビアブルガリア、ドイツで勉強したりインターンをしてきていた!この旅総じて思ったことだけど、イギリスではあまり感じることのないEU、大陸の強い繋がり。エラスムスプログラムっていってEU間だと大学の単位がおなじカウントだからセメスターでも1年でもちょっと留学みたいなのがすごい気軽に行われてるなあと。

Anyway! エディルネ滞在はサルマの厚意で家ステイにチェンジ。ちなみに引っ越し翌日、まだお湯の契約してないとかそのレベル(笑)2人であーお湯ないね、冷蔵庫動かんねとか言ってた。それでもお部屋のサイズ感だったり建てられ方とかはしっかりしてて、どうやらそのエリアは学生も多いところだったんだけど、この大学生活羨ましいなって思ってた。家賃は ₺1200/monthだそう(1リラ≒6.9円だから9000円くらい)ただ彼らの最低賃金が₺2400-2500だとすると半分以上だから決して安くはないとか。車は中古で ₺100,000+でペトロも上がってきてるから車持つ人は減ってるらしい。

 

エディルネの郊外はマレーシアみたいな学生生活にあふれてた。mamak(マレーシアのインド系ムスリム食堂屋さん)ならぬtea gardenがいくつもあって夜でてきておしゃべりしてカードゲームをしたりするらしい。懐かしさに溢れててノスタルジア。テスト期間に真夜中すぎてからmamak集合してたべたroti canaiは一味違かったなあ。たまに贅沢しよってチーズナンにタンドリーチキン食べたりして。

あったかい人情はとても感じた

 

終わりよすぎて全て良し!エディルネに寄ったのは大正解。日々の中でもふと気になったら足を止めてみるとか、右側の道なんかいい感じするって思ったら行っちゃうとか、今日ここにいるのなんかやだって思ったらバスに飛びのっちゃうとかそれくらいには自由な羽をぱさぱさ動かしていたいと思います。

魔法の扉

 

以上、トルコ編。ここから初めてヨーロッパの陸路国境越えをします。お次はブルガリア

ドバルデンブルガリア

なんでもないところから出発するバスばっかり

 

p.s. 思い出のマーニーアイランドは自転車で島を2周爆走した記憶が強めなので写真で失礼(車の乗り入れができない島々だから基本的に徒歩、バイク、スクーター、馬車)。ちなみに本名はプリンセス諸島。ビアンツ帝国時代、位の高い皇族が休養したりするような場所だったらしくTHE別荘って外見の建物が多く残る優雅でまったりした島なみ。時計がないみたいでした。

プリンセス諸島最大の島、ビュユック島

マーニーハウスレベル100

風になる

ビクトリア調味強め

船着場