ユナ旅モノガタリ 1カ国目(2)🇰🇭
こんにちは、ユナです。
なんだかんだ旅ブログ更新がスーパー遅くなって、かれこれ1ヶ月経ってた、、!そしてただいまマレーシア。ここから8ヶ月目の挑戦がはじまる!ということで更新はのんびりだけどちゃんと言葉にしていくので、暇な時にでもよんであげてください(笑)
今回は前の続きで、カンボジアで過去におきたポルポトの恐怖政治について。
S21に行った後、その夜カンボジアの映画を見ました。
ポルポトがやりたかったことはざっくり言うと農業で自給自足ができる国。
アメリカとかまわりの欧米諸国から自立して自分たちの国を持つこと。
だから、はじまりは国を壊したアメリカへの対抗心だった。
「中立国家であったカンボジアに対して何万トンもの爆弾を落として戦争の正当化する」
これがアメリカがカンボジアを戦争にまきこんだ理由。もはや理由にもなってないけど!
そういう意味のわからないエゴすぎる考えが、無駄とは言いたくないけどそうやって本来もっと幸せに夢を持って歩けた人たちを殺した。
彼らの家族を殺した。
戦争とかになると死亡者何万人って出たりしてあまりピンとこなくて、授業で習うときに数が多くないとそんなにだったんじゃないなんて思ったりする。
それでもこうやって映画を見ると、すべての人に繋がってる人がたっくさんいることがわかるの。たとえ亡くなった人が1人だとしてもその人の死に苦しみかなしむのは100人、もしかしたら1000人近くいるかもしれないって。
カンボジアで起こったことはつい50年くらい前の話で、たぶん受け止め切れてないひともたくさんいると思う。
わたしみたいに観光で来たひとでさえもうすでに考えがまとまらないんだから。
映画の最後のシーンで、捕まったクメールルージュの兵士をみんなが殴り殺そうとするところがある。
家族をなくしたわけでもない私だけどそれでもやりきれない人の痛みがつよくのこった。
この人が悪いんじゃない
この人が殺したわけじゃない
それでも私のたいせつな人はもういない
憎みたくなくても憎い
殺したいわけじゃない
ただ私がたいせつにしていた全てを戻してほしい
本当は巻き込まれなくてよかった中立国カンボジアだったけど
自分たちを守るすべがなくて、アメリカの攻撃で殺されていった。
立ち上がったポルポト政権。
でも、目的はどこかにおいてきて
生き残った子供たちに教えたのはどうやって憎しみと怒りを力に変えて敵を殺すのかってこと。そうやって洗脳されていく。憎い、憎い、アメリカが憎いって。
みんなみんな被害者で、
みんなみんながもう止められなかったんだと思う。
1番巻き込まれたのは決定権はもたずともそこに生きていた人たち。
みんな小さくても美しいしあわせを探せるそんな日々に生きてた。
ほんとはこれを知ってどろどろフィーリングでなんでってたくさん自問自答した。でも、わたしが悔しい、嫌だって言って涙を流してもなにもかわらないから。
いま1番身近にできることとして私の中で1番大きな媒体をつかおうとおもいます。
もちろん個人の見解もはいってるし、たった5日の滞在でわかったことなんてかけらかもしれない。
でも、ポルポトがいたそれだけじゃなにも教訓にならなくて、彼がなにをしたかなんのためにそしてどんな人がそこでどう生きてたかってそういう名もない人たちの話がたいせつだって思ったから。
カンボジアにきてすごい人があったかくて、話してみて日本人を想ってくれてるんだってわかったの。だからさ、こっちもこの旅で出会った人のために知りたいって思うんだなあ。
読んでくれた1人でも多くの人がクメールルージュ、ポルポト?なんじゃそりゃって教科書でもいいし、ググってもいいし、家族とか友だちとかに話すだけでもいいから。なにかしら次に繋がるアクションのきっかけにこのブログがなればいいと強く強く強くおもう!
いつも長々と付き合ってくれて読んでくれてる人、ほんとにありがとう、、!愛!