ユナ旅モノガタリ 13カ国目(3)🇦🇱
お部屋にタンポポの毛みたいなものがたくさんうかんでいます、拡大したらくらげの大水槽だなんて思ってるユナです。みなさんいかがお過ごしで?
最近わたしはわたしの人生がすごいすき。
これ大きな進歩なの。ずっと思い込んでるような気がしてた。ゆっくり自分のペースでってのも理解はできたけど、私はそのスピード感がなんとももどかしくて。うぐぐってなってた。
でも最近、頑張れることがあること、後押ししてくれる人がいること、そんな人たちが私がうまくいくと喜んでくれることに気がついた。私は私のたいせつを見つけていくトレジャーハンティングしてる。見たいものをみて、自分で言葉に意味をつけて、踊りたいときには感情をぜんぶで感じて、ひとりになりたいときには自分に優しくして。自己中っちゃそうだけど、
かけぬけたい、ここらから第2章!
はい、まだまだ続けていきましょう、アルバニア編は折り返し。
前回までのお話はこっち。
ここ世界遺産の町、ベラトを出て、一度首都に戻ります。
そこから北はモンテネグロとの国境にあるシュコダーという少し大きめの街へ。アルバニアの公共交通はあんまりうまくいきませぬ。アルバニア人のフラットメイトがいたんだけど、彼曰く、お金があったらまずpublic transportをなんとかするそうです。昔(社会主義時代)にできた鉄道があるみたいだけどほぼないに等しいくらいで、国内移動はもっぱらミニバン。
シュコドラ行きは過酷なバスでした。
観光バス、窓は開かない、カーテンは閉まってて、外の気温は40度近く。3時間くらいの旅路、車酔いでやられた。隣に座ったおじさん、いい人できっとアルバニアのヒーロー、スカンデルベグ(オスマン帝国に対抗した中世の君主)にゆかりがあるところを教えてくれようとしてたんだけど、ちょっと寝かせてほしかったですはは。なぜなら、彼はずっとアルバニア語とイタリア語チャンプルの3時間、ごめんだけどわかんないのよそもそもどっちも(笑)謎にイタリア語→スペイン語→英語の連想ゲームが始まってて、もう笑っちゃうじゃん。
そんなでようやく着きました、シュコドラ。
街が湖を沿うようにできてて、湖の向こう側はもうモンテネグロ。
実はこの時、wifi繋がらないまま1日経ってて、今日の夜宿どうしようかなって状態だったの。だからまずは、町のメインストリートみたいなところ歩きながらのホステル探し。
偶然決まったホステルだったけど、なんだか面白い人たちに会えちゃった。そもそもホステルが私より少し上のお兄さん2人で経営してたんだけど、この人らが私兄弟だっけ?ってくらいの距離感。滞在1日目でぽんこつ扱いされてて、「ほれみーこの自転車こわれてるって言ったでしょ。もう、こっち(自分の自転車)使っていいから。あっち側の道抜けると近道だから。」とか、いたせりつくせり状態。このあたり、疲れてて自分で予定立てるのもう頭使えないですってなってたところでのこのサポートはありがたかった。
そんなとこで2泊、じっくり街探索してきまして。
私おやつ代わりに量り売りのフルーツを買うのが好きなんだけど、ここでも八百屋さんみたいなところで手にしたフラットピーチとチェリーをカバンに詰め込んで高台を目指します。
たどり着いたのはロザファ城跡。もう閉店?ぎりぎりの時間だったおかげで人もほとんどいない中、堪能した〜この頃サンダルの裏つるつるなるくらいに歩き回ってたせいでそこら中で転びそうなの大変(旅にビーサンとサンダルしか持ってかないのに色んなところ登ったり泳いだりするからもう)
シュコドラなぜかデジャブな瞬間が多かったんだけどここもそのひとつ。
何年も何百年も前につくったものが自然の中に共生してた。
ふとした景色はどこかで見たアマゾンの写真のようで、違う城壁にのぼっては降りて、思いを馳せてみました。
なんか頭はジブリの主人公みたいなことを考えてて(ナウシカとかもののけ姫とか)私たちの世界はなにをして、なにを残していくんだろうって自問自答。いまでも残ってるたいせつにしたい感覚。
次の日、まあ湖と川をみた私は考えました。どこで泳ごう?
ということで、この日も自転車をレンタルして湖の方へかっ飛ばします。
ここでこの旅で唯一起きた危険?を話しておきます。別に悪いとことか隠してるわけじゃなくて、なんかずっとラッキーで大変なことはなくてうまく行きすぎちゃってたのよ。実際みんな助けてくれるし。あと、私慣れてます知ってますって顔するの得意なの(笑)
ただね、この日は自転車で湖のほうに向かってた時、なんだかつけられてるなって気づいた。ガールズトラベラーのみなさま、ストーキングされてるかもって気づいたら、まずしれっと信号渡ってみます。それでもまだついてきてたら、反対に方向転換します。ここでもはや私は確信する。周りに人いなくて危険度高そうだったら、とにかくレストランでもなんでも人がいて助けを求められるところに急いで。緊急性がなかったら、写真とか動画にのこす、そして、人がいるところに逃げこんで、助けてもらう or 宿が近ければばれないようにとりあえず帰宅。正直、外国人っていうだけで対応してくれないポリスがいる国もやっぱりあるし、そもそも機能していない国もある。だから、知り合いがいる宿が安全かなと私は思う。
今回のケース、私はunluckyでもluckyで、宿で仲良くなったイギリス人のスティーブおじさんが偶然通りかかって「ちょっとつけられてるぽいんだけど、一緒に行動していい?」ってお願いして、回避成功。泳ぎにいった。
この人性格が典型的すぎるイギリス人で、ちょっと皮肉ったらしい。こちとて面白すぎて笑っちゃってた。みんながイメージしてるイギリス人まんまですきっと。いい人がわかりにくいんだけど、なんだかんだ助けてもらいまして。
宿の部屋にもう1人、ポーランドからやってきたポールがいたんだけど、この人スティーブの嫌味とか全然気づかないアクティブバカなお兄さんでもはやコメディ?って思ってた。コメディ兄さんはこの日の湖ダイブに合流したのち、私のわがままで夕日を見に行くために40分くらい自転車を一緒に漕いでくれました。やさっし。
そういえば湖のほとりで旅をするロシア人の女の子2人に会ったの。
聞いたら、はっきりとは言葉にしなかったけど、ウクライナのことがあって逃げてきたみたいなこと言ってた。実際、そうやって国境を超えてる若者は多いらしい。ここで政治的な主張をするつもりはないんだけど、どうだろ?どう思う?気になったからあえて書いておくよ。
もちろんお話しして彼らのバックグラウンドを完璧に理解したとは思ってないし、それでこういうスタンスとるのはjudgementalかもしれん。ただ私は純粋にここで彼らが夏をたのしんでるのがフェアじゃないって映ったよ。うん、でも自分は第三者だからそう思ったのかな。もし、自分が当事者で、自分の国がmake senseまったくしないことをしたら、それにstandできるのだろうか。ムービーだと民衆パワーでハッピーエンドだけど現実はきっとそうもいかないこともある。彼らをそこで私がよくわからん正義感ふりまわして責めたところでそれはお門違いでしょう。ふれないのが正解かもしれないけど、それで人のライフが忘れられていって日常になってしまうのはおかしい。とてもおかしい。論理と感情をわけて考えないとだめね。
ちょっとよくわからないエンディングになってしまったけど、ある意味open questionだと思ってくれれば。
この後はバルカン半島のアルプスなんて呼ばれるTheth国立公園に向かいます。ミニバス2時間くらいでメリダのおそろしの森の1ページにステップイン。美しすぎて、壮大で、荘厳で、私には語彙が足りない。人が自然を畏怖したのがわかるような場所でした。
予告編の写真とともに、みなさん今日も好い日を!
チャオ!
ユナ旅モノガタリ 13カ国目(2)🇦🇱
やあやあ、暑くて溶けてるユナです。
今年はイギリスずっとあったかくならなかった(3月がちゃんと雪ふってたくらい)のに、ここ数日大変なこっちゃ。体感30度、冷房はもちろんない。湿度はそこまで高くないけどそのぶん太陽ぎらぎらでもうおこげ化した。
そんな中、6月7月はさよならラッシュのようで。この1週間、また会えることを願って「またね」って言う。大切なひとたちのニューチャプターは嬉しいけどさみしい。ジビの授業のこと思い出すんだな、ふと。自分たち人生船乗りだから、ずっと一緒にはいられないから、それでも大切をたくさん蓄えて出航するの。でも慣れないものだね。シェフィールドで出逢えた人たちへ、祝福のエールを、愛を込めて。そして、さみしいってかなりうっとうしく絡んでも笑い流してくれて、お世話してくれてありがとうでした(笑)
話は戻ってアルバニア編。
ちょっとスピードアップしていかないと。ボスニアまでちゃんと書き残したい。
アルバニアどこ?なに?ってなってたらぜひ前のやつ読んでね。もうちょっとアルバニア全体の歴史について触れてます。今回の紀行文はど主観の日記ですあは
アルバニア、首都ティラナを出て向かったのは世界遺産の町、Berat。
アルバニアは一番バスがややこしかったといっても過言ではない。ヨーロッパ圏にいるけど、バスのターミナルはボルネオのマレーシアとかガーナとかと一緒。乗合バス?バンみたいなのが大集合してて、ボンネットのところに行き先が書いてあるか、行きたい場所を叫んでる人のところにいって前払いするスタイル。私がベラト行きに使ったのはバンだったからエアコンなし、窓開けたら土煙野中、2時間強のジャーニーだった。熱中症なりそうよ。
ベラト行きではあるものの、なぜかバンは町中まで行ってくれない(笑)中心から2、3キロ離れたガソリンスタンドで降ろされてさよならしちゃった。どうやらそこがバス停になってるみたいで、すこし待ったら市内バスみたいなのがやってきて揺られながら今日のホステルへ。ここも、バスの中にお金集める人が乗っててその人にみんな払っていく。お金を渡した時「いくらだった?」って急に英語で声をかけられた。そこには私ともう一人、外国人。この出逢いがある意味、いやすごく旅の休息になったの。どうやら同じバンに乗ってベラットにやってきてたみたいで、おなじくひとり旅のアンガス。旅のプロフェッショナル。正直よ、初めて会ったイギリス人で話してて面白いと思った人(笑)旅人の助け合いってたくさんあるから、ソロだからこそ楽しめる良さだと思ってます。
その時ドバイでのインターンを終えて、イギリスに帰るまでの旅の途中で。もうすでに50カ国以上世界をまわってきた強者。スタンダードが全然ちがう。イギリスってなんだか日本と近い島国気質を感じるんよね。結局、島で完結できちゃうからあまり外に興味がない。ホリデーとかは行くんだけど、なんていうかな、観光でいくだけで別にその国の文化を知りたいとかそういうintentionはなさそう。日本でいう避暑地とかに向かう感覚。ただそれが国内にないってだけ。ちなみにここで大人気なのはスペイン、ポルトガル、イタリアあたりかな。太陽があって、天気が良くて、綺麗なビーチがあるところ。
話もどってベラト。だからか、イギリス人で(といったらgeneraliseしすぎかもしれないけど)あまりライフストーリーがおもしろいとか考え方が興味深いって思えたことがあんまりなかった。だけど、アンガス、ほぼ同い年なのに経験が空こえてた。自由だけどdown to earthなタイプ、でも軽くどこまでもいけてしまうんだろう。
話をしはじめたらとーまらないとまらない。話して、聞いて、inspiringで気がついたら1日経ってた。ベラットって谷というか峡谷の間にあるところなのね。だから、その壁登って上に行くこともできるの。せっかくだから夕日を見に行こうって行ってみた。
綺麗なものってどこにでも探せばあるけど、この日見た夕焼けを忘れることは一生ない。good companyと静かな空気とすこしカンボジアっぽいもやのかかった山間から流れる川。
実はイギリスに帰ってきてからも何回か彼と会ったけど、いつもあの夕焼けの話をするの。ずっと覚えてるね、言葉で言えないよねって。いつかまた一緒に冒険できたら楽しいだろうなあ。
そんなこんなで戻った宿はおばあちゃんハウスみたいなところ。朝着いた時、民家なのか宿なのかわかんなくて探すの時間かかった。
ここで出逢ったローレンスたちのカップル、ノルウェー人のトー、シシリアからのファミリーもみんな心地よかった。だって、夜帰ったら入口のところでギター弾いて歌うたってってしてるんだよ、もう最高の締めくくりでしょう!トーはこのあとシュコダーっていう北の町で再会するんだけど、おんなじようなルートで旅をしてたから、途中でこの町ならこの宿!ここはおすすめ!なんて連絡しあってた。たしか中国に昔住んで英語を教えてたガッツがあるおじいちゃん。この旅おわったらノルウェーの湖のほとりにある小さな小屋で夏を過ごすって言ってたな。
*アルバニアあるある:ホスピタリティが素敵。朝ごはん付きの宿がスタンダードでそれでも一泊2000円しないくらいだったはずです。しかも朝ごはんはその場で作ってくれるおうちごはんばっかり。
ベラトはこの旅でのハイライト。みんな自分のライフを持ってたの。それが美しくて、羨ましくて、人間らしい。
旅の予算が減ってきたので、ベラットは1日で、次は北はシュコダーへ。
旅のお金の話ってしてなかったし、よく聞かれるけど、だいたい1週間£100くらい(16000円弱)でした。トータル6週間、交通費含めて£700あたりだったんじゃないかな。ちなみに出発した時はサラリーが入る前だったから、200ポンドもないくらいで、途中でpaymentこなかったらどうしましょなんて思いながら旅してましたとさ。
それではアディオス!みなさま水分補給わすれずに〜
p.s. その他の写真たち
ユナ旅モノガタリ 13カ国目 🇦🇱
最近、なにかの反動のように自分をつれだしてるユナです。
冒険のことを考えるとアルケミストを読みます。そうやって好きを鞄につめこんで近くの植物園にやってきた。パソコンでやること多くて1ヶ月くらい閉じこもってたけど、外の世界は思ったよりも生きてた。花は降るように咲いていたし、芝の香りは夏休みの始まりだった。太陽はもう肌を焼けるくらいに強くなっていたし、そんな自然にみんなのまれてた。虫にたくさんさされたけどこれ求めてた。simple yet fundamentalなこと。難しくないのに単調じゃないこと。久しぶりのただいまをほぼ毎日やってしまったものだから足がぱんぱんです(笑)
さてさて、今回はアルバニア編のはじまり(*旅にいったのは2022年の夏です)
たしか朝が早いバスだったから、おはようする前の静かなオフリドの町を歩いてターミナルに向かった。途中で私のとなり、颯爽とサイクリングで抜けていくおじいちゃんがなぜかUターンして帰ってきたの。んーなんだなんだって思って、たぶん怪訝な顔してたけど(笑)見てたら、バス停わかる?ここまっすぐ行って左側だからね、いい旅を!って教えてくれたの。最高のフィナーレよ、北マケドニア。ありがとう。
美しいオフリド湖を横目に、後ろの席にいたスペイン人のRosaとお話ししながら国境をこえていく。これいっつもやっちゃうんだけど、イミグレのとこたどり着いてからビザの確認しようとする(もちろん電波なんてないからそわそわして周りの人みたり、祈ってる)日本のパスポートに助けられてる、ほんとうにありがたい。
ちらっと日本のパスポートがどれほどパワフルかってこと。大学の友達の話をすると、その子はシェンゲンビザもなかったから最初に入る国の大使館にいってビザを申請しなくちゃいけない。それがほんとうにhectic process。イミグレが訳わからないのは東南アジアだからとか新興国だからなんてことはまったくない。イギリスでもやりたい放題です。ヨーロッパはいいイメージが強そうなのでリアルをぶちこんでみます。
- まずビザの申請するための予約をとります(数ヶ月スロットがないことも余裕である)
- 次に費用。たしか期間に限らず4万くらいかかって、プラス夏はビザを取りたい人が多いからファストパス的なのを購入します。ただそれを払ったところで旅行にまにあうかは運です。
- あと何日間のビザがおりるかも運です。実際、私の友達で2週間しかもらえなかった子もいれば1ヶ月もらえた子もいまして。例えオンタイムじゃなくても費用はかえってこないかなりストレスフルゲーム。
日本パスポートはこれをやらずに旅行できてしまうので、何度「なんで旅行いかないの」って言われたことか。ほんとうにそうだとおもう、ヨーロッパに限らず。経験と知識は自分のものだからこのマインドは学生じゃなくなっても忘れないようにしたい。最近よくみるショート動画があってお姉さんが「Day 〇〇 of doing something fun after work」ってやるやつ。毎日、海に行ったり、かき氷つくったり見てるだけで夏やすみなのよ。あのエナジーは纏っていたい。
うーん、脱線もいいとこ。
バスに乗ってアルバニアは首都ティラナ到着!バスターミナルから宿までは学生も多くて、時間の使い方がマレーシアみたいだった。わかる人には伝わる、mamakでたむろってる感じ。
まずはバンカーミュージアム(社会主義時代の核シェルターをそのまま展示物にしたところ)に向かってみる。アルバニアが特殊な政治下にあったのは約50年。その中でも1978年から91年までは大鎖国時代を送っていた。日本でいう江戸時代だけど、この鎖国は逃げることも戻ることもできないくらい命の危機を伴うもの。そんな時代に最悪の状況を想定して作られたのがこの地下壕、その数17万基以上。ほとんどが今でも民家の庭だったり、街角、公園の中とかに残ってる。
そのうち2つを博物館として改装しているのがティラナにあるBANK'ART。私が行ったのは2つ目、政治の中心地の真下。
だから国のトップが何かあった時に泊まれるような部屋があったりと全部で20くらいの部屋はあったんじゃないかな。それぞれ社会主義国家下でのエピソード(どうやって監視して、監視されて、逃げようとして捕まって、拷問されて)っていうのが実際の武器や写真、手紙、動画とかで説明されてるの。
最初はアトラクションの入り口みたいなんだけど、中に入っていくと閉塞感に怖くなって、気持ちが悪くなった。最後の方ぜんぶの部屋見られなくて出てきてしまったくらい。Losing the past means losing the futureって生存者の人がのこしててはっとする。何がどうなったらおかしいことがメインストリームになってしまうんだろう。体験者の人は私のひとつ上の世代。今のおかしいもいつかは過去になるのかな。地下と地上、眩しすぎる日差しがすごいコントラストでくらくらした。ひとりだったけどひとりになりたかった。近くのカフェに入ってdigestする。自分でもびっくりするくらいミュージアムに思考がひっぱられてて。自分は感情が表にでやすい分、受けとるのもある意味素直でたまに困る。
この時のノートにはエネルギーのコントロールを失ってるってことが書きなぐってあった。旅はすきだけど、自分で完結したくない。ニュートラルなエナジーがとどめなく溢れてきて、自分の思考次第でポジティブにもネガティブにもなってしまう。その場のテンションで左右される。わかってるからポジティブに使いたいのにうまくできないっていう葛藤があったみたい。読みかえしてもよくわかる、自己完結型の旅はそろそろ終わりじゃないかなって。ただただ自分の好奇心をみたすだけじゃなくてそれをgive back to societyって考える。はあ、なんてややこやしい性格をお持ちで。
ここでこの息苦しいままツアーに参加するか迷ったけど吉とでた!
バルカンどこに行っても大体あるのがfree walking tour。そのエリアの歴史とか町をボランティアで案内してくれて最後にチップを渡すってシステム。他の旅人とも仲よくなれるからおすすめです。
アルバニアの歩みをシンプルにまとめると...
色々近隣国に攻められたりしながら、長いことオスマン帝国の侵攻を受ける。スカンデルベク(アルバニアの紙幣にも描かれている人)が抵抗したものの、死後、帝国の支配下に。独立しアルバニア王国になるが、WW1後はイタリアの統治下に入る。からのムッソリーニによってイタリア併合。WW2中、アルバニア人民共和国誕生=社会主義国家。30年くらい前にようやく共和国として鎖国を解いた。
私のガイドさんは40歳くらいで、もちろん社会の移りを体験してきた人。話が壮絶だった。5人家族のガイドさん、毎日2ローフのパン、2キロの肉は月一でもらえたらいい方。乳製品はほぼ入手できなかった。チューイングガムが珍しく、みんなで食べ回して水につけて次の日もまだ味わう。洗濯は週に一回。バナナが初めて国にやってきた時はみんな食べたら風邪をひくと疑ったくらい。ラジオもテレビも全部規制されてた。国を出ると家族が罰則をうけるからみんながお互いのスパイ。ご近所で盗聴なんかは当たり前。自給自足の生活。
この人の肌感として、アルバニアは起きたことを歴史にできるほど時間が経ってないからまだ話せない人も多いそう。そりゃそう。私がうまれるたった7年前のこと。みんなまだはっきりと覚えてるから消化できない。だから今でも学校とかで細かく学ぶこともないそう、というよりどの角度から伝えたらいいのかが決められないんだって。
他にも、過去の遺産をどうしよう?なにに活用していく?っていう会議段階。最近の急な発展は外貨によるものだそう。アルバニア自体EUに入ることを望んでいて、アメリカ、イタリア、ドイツ、オランダとかから融資を得て、高層ビルの建設ラッシュ。私が行った10日前にピザハットの1店舗目が登場。スタバやマックはまだ入ってきてない。過去5年くらい、政治はほぼ破綻しているみたいで、実際イギリスへの違法移民が一番多い国ってアルバニアなのよ。友達のいとこが4ヶ月前くらいにトラックの中やゴムボートを使ってここまで辿りついてた。アルバニアにいても未来がない、仕事がない、お金もないって感じているらしい。
きっとこの国に住む今の世代はこれから5、10年、激動を生きていくんだろう。この事実を伝えていける人は強いと思った。ガイドさんたちから根性をかんじた。
このツアーの中身とは別でね、Bradaってアメリカ人のかっこいいお姉さんにも出逢ったの。ボストンで働いてから仕事辞めてworkawayでモンテネグロ、アルバニアを周遊中。パンデミック中に本も出版して、次世代女性リーダーとして国際会議にもよばれちゃうパワフルレディ。1日、すこし暗い気分にはなってたけど彼女と話して結構すっきりした。
そう!もう一人!宿で出会ったタイ人のケイト。もう5年も旅を続けているもはやマスター。彼女にアルバニアのおすすめを聞きながら、ティラナから南下、世界遺産の小さな町Beratに次の目的地を設定しまして。もうどんとこい!なんでもこい!
正直アルバニアexperience総じて濃い!!
だから丁寧にその時のemotionとか人との出逢いを言葉に結っていきたいです。
そいではまた!チャオ!(アルバニア人イタリア語を話す人も多いからチャオ日常的に使われてるよ)
ユナ旅モノガタリ 12カ国目(2)🇲🇰
Halo、ユナです。
シェフィールドの天気は晴れて雨って曇ってのサイクルが1日に何度もリピートされてて忙しいです。おてんば天気に感情のフォローアップが間に合わなくて疲れぎみ。これが5月病?はやく夏がきてほしいなんて思いながら、森山直太朗の夏の終わりを聴くのがすきです。
この度、旅はようやく折り返し(今更)
北マケドニアの首都スコピエの紀行文が気になっちゃう人はこちらからどうぞ。
ではでは、スコピエから誰もがいくべきっておすすめされるOhridへ向かいます。
360かの教会がある世界遺産エリアらしく、ゆうて一番の楽しみは泳ぐのだったけど歴史もワクワク。スコピエは国民性、地形、地理的距離<<宗教なのかなって感じがしてた。旧市街なんかはブルガリアが幻想だったかと思うくらいトルコから直行してきたみたい。町の旅行会社のサインボードも”アンタルヤ(トルコのビーチリゾート)””ドバイ”をよく見かけた。ヨーロッパってイメージするお顔は少なくて、アルバニアに行ったら謎が解けるかも。
マケドニアは周りの大国に翻弄されつづけてきた、ギリシャ、ドイツ、イタリア、ユーゴスラビアなどなど。ギリシャのcivil war後、14歳以下のマケドニア人の子供大疎開が行われたことで今でも、アメリカ、カナダ、西ヨーロッパの国々に多くのマケドニア人が住んでいる。ずっと戦略の中を息抜き、文化を受け継いできた強い人たちね。そんな人々の先祖たちがいたヨーロッパでも最古の人類の定住地として知られるオフリドに行ってきまして。
最初の感想は観光地。英語は使えるし、ユーロが使えたりもする。ただ建物は素朴でスコピエよか昔の建築物をのこしてる。ギリシャからのツーリストが多い印象。
一つ言わせて、聖ヨハネ・カネヨ教会っていう有名なところがあるんだけど、もうびっくりするほど写真のとおりで美しかった。現地の人が教会の前にあるベンチでおしゃべりをしていたり、観光客も写真撮ってはい次!みたいな人より階段に腰掛けて本をよんでいたり、すべてが日常に浸透してた。私がいたのは7月のハイシーズンだったのに。
夕焼け後、ちいさな港でアルバニア側の湖畔をながめる。いいよ、正直自分でもromanticiseしてるって思ってたから。旅にでるとずっと私が主人公モードだわけあは。
ぽけってしてたら話しかけてきた船乗りのおじさん。
色々話をしたんだけど、フェミニストであると宣言しているのに女性はしいたげられているって思っていて〇〇なひとが多いって断定型のステレオタイプは矛盾だったよなあ。
私「性別とか国にかかわらずみんな個人としてリスペクトすればいいのでは?」
おじさん「自分(おじさん)はノーマル、ストレートな女性が好き」
おじさん英語得意そうではなかったから偶然思いついた言葉だったかもしれないけれど、そのワーディングに引っかかってしまったのと、話し方にinvadingな意見の広がりを感じてもやっとした。
私「わかりました、ただみんなおじさんのいうノーマルではないかもしれないし、それは個人の権利でチョイス」
こんな感じでずっとループ。
通りすがりのだれかのお父さん「今はモダンワールド。それはあなたに関係ない、好きに選べばいい」
といった具合だったんだけど、なんて言うのがよかったんだろうってその時の自分はその気持ちをホステルのベットで書き綴ってた。対話のチャンスはいつでもあるのに、どうやって自分の考えを届けられるのかね。放っておけばよかった?
あ、スクロールしても答えはでてないです、全然。ただきっとおじさんがこの会話を覚えているとしたら日本人の女の子がっていう主語に変換される(この話題が始まる前に日本の話をつらつらしてたから)このトピックに限らず、大きなことみたいだけど自分がprivilegeある分の責任はもってる感覚も大事とおもう。架け橋になるってきっとそういうことだ。なんかあれみたいだね、自由がほしいってやつ。このオフリドで寄った小さな教会のひとつでね、中に入れてもらうことができたから持っていたスカーフで肩を隠したの。そしたら、そこの神父さんがありがとうって声をかけてくれた。私に彼らとおなじ宗教観を持つことはできなくても、その土地の人たちが大切にしてきたことに敬意を払いたいし、踏みにじりたくない。自己満でも私も嬉しくナッチャッタならwinwinでいいでしょう!
感情もいっぱいあつめた1日目から2日目。オフリドのマケドニアとアルバニアの境界近くにある聖ナウム修道院へ。
なんと国境まで徒歩20分。ここから超えてはないけどどきどきしちゃった。
早起きしてミニバスに乗り込み30分ほど。腹ごしらえにBurekってバルカンでは(よく出てくるみたいな単語、オールスターみたいな)を買ってぱくぱくする。具はわからず食べてみたけどほうれん草みたいなお野菜Burekでおいしかった。
さてさてたどり着いた湖の反対側。あーれま。もうほんとうに透明な淡水湖。早くきたおかげで湖周遊する船も動いていなくて静。この旅は自分探しじゃなくて、自分に時間を戻すものだって実感した。ふう。
湖の後ろがわ、修道院の周りには湖から水をひいた3つの教会が点在しています。散策コースになっていてのんびり歩いて1時間弱くらいでまわれるの。ここはね、ジブリだったよ。あとなぜか日本の夏を感じた。蝉のこえを聴きながら自然のままに生きている草原を抜けるの。イギリスにきて、いやマレーシアも、蝉が鳴く夏っていうのをずっと忘れていたから、ノスタルジア。音とか香りとか毎日を組み立てる要素ってなくても気がつかないけど、こんなにも自分の記憶と体験に結びついていたのかってびっくりした。あとからこの時の写真フォルダ見返すと蝉の音だけを録音したのばっかりで興奮が伝わってくる(笑)
2つ目の教会がだれもいなくて神秘的だったからお水もらってこってちょっと休憩してたの。そしたら正面からボートがやってきて、偶然ブルガリア人の合気道グループに遭遇。世界ってせまくできてる。コロナもあって2年越しのトリップだったらしく、こんな日本から遠く離れたところで自分の文化を知っている人たちに出逢えるなんてアメージングなこと!旅をしててすごく思う、私も還していきたい、伝えていきたい、届けていきたい。
ふと浮かんできた自分へのメッセージ。
ただただ偶然でできたこの世界を高校生活のように謳歌してほしい。偶然にするにはできすぎたような伏線が5年後、それよりももっと先に回収されていく、こんな不思議で不揃いな毎日を。
きっと与えられた選択肢、どれも正解だから迷ってしまう。じゃあその中で最善はどれ?って。でももしあなたが直感的な人間ならもう十分体験してきたでしょう。頭にのっとられちゃだめ。目はたまに見えすぎちゃうの。だったら見えないようにしてきいてみる。選択肢に心が躍ったり、愛が溢れたりしたらそれでへいき。愛にチョイスをさせること。トレーニングがいるようだけど何となく感覚をつかんできている気がする。気持ちよくて心地いい。例えあなたが論理thinkerでもこの何となく合ってるっていう落ちついた感情は変わらないんじゃないかな。あとちょっとは力技。とった方自分の正解にする、それだけね。
ゆっくりと温かい時間を過ごせたオフリドもこれでおしまい。ここからさらに西へ進み、アルバニアの首都ティラナを目指します。アルバニアは共産主義時代の色が濃くのこる、まだ人々、町の傷が歴史になりきれていないそんな場所。ティラナから南下してベラット、北上してシュコダーの3箇所をまわってみた。アルバニア編お楽しみに。
それではおいしいごはん食べて良い1日を!!チャオ!
p.s. 入りきらなかった写真たち
ユナ旅モノガタリ 11/ 12カ国目 🇧🇬🇲🇰
こちらは戴冠式でロイヤル一色になっておりますイギリスからこんにちは、ユナです。
ロンドンほどの盛り上がりはないけれど小さな街でもユニオンジャックがそこら中にみえかくれ。1年前のプラチナムジュブリーを思い出したりなんかします。あの日も人がたくさん通りに出てて、音楽が鳴って、みんなで踊って、私がちょっとイギリスをすきな理由です。
昨日は朝おきしてセレモニー見てきたの〜ようやく春到来で気温も10度こえるようになったからぽかぽか。来てたのはファミリーとおじいちゃんたち世代が多くて学校の友達なんかは興味ない感じだった、学生は留学生ばっかりで。実際友達とか国歌わかんないって子も多くてギャップを感じる。"God save the King"って言ってからのファンファーレは鳥肌もの。歓声と拍手でお祝いムードもピーク。おお、と思ったのが国王の戴冠がおわったら片付けして帰る人多かったこと。ちゃんと雨が降ってきたのもなんともイギリスだななんて思いながらわたしはマレーシアご飯食べてエネルギーチャージ。おもしろいのがお祝いとかご褒美でたべたいのはマレーシアの料理でちょっと自分が弱ってるときにたべたいのは日本食なんね。
話は過去にとびこえまして、ブルガリアはソフィア、そして国境越えをしてたどり着いた北マケドニア。
ソフィアはブルガリアの首都、だけどとてもコンパクトシティ。高速バス到着する10分前くらいまでほんとに何にもない自然の中を走ってて地方都市かと思った。
郊外の家は一軒家が多くて塀がないからいつでもお隣さんこんにちはスタイル。首都でこれってちょっと驚きだった。かといって中心がぐちゃっとしてるわけでもなくて緑いっぱい。光合成が得意なわたしはぴったり。草がのびのびとしてらっしゃった。
着いたのは日曜日。休憩の1日かしらと思って街にでるとデモクラシーのプロテストをしてた。聞くと数日前にはプライドパレードがあったらしく、なんとも街が活きている!
ポリス全員出動した?ってくらいいたけどご飯たべたり、Ayran(塩気のあるヨーグルトの飲み物)買ってたり、公園のベンチでチルってたり、ありゃ?おなかおっきいし何かあっても走れないだろうなとか思ってみてた、ごめんよ(笑)
さてさて、ソフィアは歩くすべてのコーナーでカフェあるじゃんくらいインディペンデントのちいさなお店がたくさんだった。たぶん長期滞在によさそう。
どうやらロマの人たちが多いらしい。ロマの人たちをうまく説明できないけど、北インドから移動しながら暮らしてきた少数民族。確かにソフィアにきてからお顔が少しアジア系の混じったようなso-calledエキゾチックな人をよく見かけた。町の掃除だったりが彼らの仕事らしい。根ずいてるラベリングだよね。うんん。奥がみえない。あと、ソフィアは他の首都と同じで人口がやっぱり地方と比べるとおおきくなるからホームレスの人も多かったりした。地下の道もあるんだけど、とても無機質のコンクリートでちょっと薄暗い、治安はあんまりよくないところもあるかなっていう印象。
ここは息ぬき+国境超えるのにバスが出てるってことで寄ったんだけど、泊まったホステルに偶然日本人の人がいて、ブルガリアで韓国料理屋さんのご飯会にお誘いもらうという謎体験した。いやそりゃおいしいし、うれしい。だっていろんな人と出逢うし楽しいけど、結局はずっとひとりなわけで。イギリスにいても日本語話す機会ほぼないからなんだかとてもホーム気分。
聞いてると日本人もちらほら住んでたりでコミュニティがあるらしい。なんだったけ、過ごしやすさと物価とか関係してるみたい。日本のパスポートってシェンゲン協定国にざっくり3ヶ月ビザなしで滞在できちゃうから。
実際バルカンまわってみて、ブルガリアが間違いなく一番ヨーロッパぽい(EUだし)。なのに物価は他のバルカンよりちょっと上くらいっていう穴場感はすごいある。ごはんもおいしい。
そんなソフィアは3日目に出発。また冒険モードに突入していく。
スコーピエなんて初めてきいた北マケドニアの首都に向かうためにバスターミナルに行くんだけど、なんか変なの。名駅のバスターミナルより大きくて、他の乗り場から出て行くバスはちゃんとコーチ。大型バス。あれ、観光バスだわけ。なのになんでか私が乗るのはまたもミニバン。ここのバス運賃ぼったくられそうになったけど、節約命のバックパック旅なのでそんなことは見逃しませぬ。ちょっとイラっとしたので値段交渉して現地のこども料金にしてもらえたからまあいいけど、いいけどね、あのしれっとした顔はなんなんもう。
スコピエは北マケドニアの首都、通称カオスな首都。ソフィアがど先進国に見えるくらいスコピエはちょっといびつ。ここから旧ユーゴスラビアの国に潜入です。国名とそこに住む人が一致しなくて混ざりあってるから概要しかつかめなかったな。
どこから始めたらいいかな、まず1に銅像。2に銅像。3にも銅像。
スコピエ、しいてはマケドニアに関係ない銅像まで作っちゃうもんだからわけわかめ。ここは歴史が止まっているみたいだった。でも一時代で止まっているわけじゃなくてそれぞれのターニングポイントが大集合しちゃっているの。どっちかっていうと引きずってる。
旧市街を抜けたところにスコピエの古い要塞の石垣が残ってるんだけどそこから街を見下ろすと、右手に共産主義時代の無機質な建物、その左手にはアレクサンダー大王の銅像、そして手前にはイスラム色の強い旧市街。すこし奥に目を凝らすと大きなショッピングセンターがあって、その左側にはスコピエ地震の時の建物が残してある。これだけでも十分情報過多じゃない?
アレクサンドロス大王をちょっと補足すると、古代マケドニア帝国ってのがこの辺りにあったらしくその一部だったから彼らの誇りみたい。資料館みたいなところでマケドニアの歴史と民族移動の現代史を教えてもらったんだけど、私に歴史の授業はできないのでこれ参考までに。その場所人がいなさすぎてスタッフさんマンツーマンのツアーをしてくれた。あれは展示物はいいのに展示の仕方がおしいやつ。
このギリシャとの歴史的背景もあって5年くらい前に国名を変更してる(させられている)fromマケドニア into 北マケドニア。高校生の時にもらったマケドニアの写真集?観光省が出している冊子みたいなのが家にあるんだけどその本はまだマケドニアだったんだよね。だから北って付いてるのが最初は俗称かと思ってた。
もうひとつ、スコピエ観光に行くことがあったら覚えておいてほしいこと!
もう意味がわからないくらい眩しいです。日差しが強すぎるのと白い石の照り返しでリアルにサングラスなしでは歩けません。ゆうてしても日陰をさがして移動しているかんじ。正直、おひる時間なに見たかよく思い出せないくらい全部反射してたのでお気をつけ。携帯の画面なんて全然みえないしなに写真とってるのかとりあえず連打した(笑)気温は40度手前くらいだったみたい。
スコピエ最後の夜は近くのショッピングモールにあったエコノミーライス的ものをtake awayして宿のベランダでたべました。宿が学生しかいなくてちょっと修学旅行みたいだったよ。いつか彼らを訪ねにフィンランドとトルコにいけますように。
次回、北マケドニアの首都を全力でしのぐ世界複合遺産オフリドへ。久しぶりに水にとびこめてわたしは嬉しみです。
それではここまで読んでくれたみなさんありがとう!今日のラッキーあがっちゃうね! Have a lovely day! チャオ!
ユナ旅モノガタリ 11カ国目(2)🇧🇬
夢の中で走っても走れない時おきると涙がこぼれていることもありますね、みなさんおげんきで?
旅をしてなにかを発見して書き記すのはわたしのjoyみたいなのでほぼ1年越しにお話を続けます。気分はいつでもdora the explorer。影響をうけやすいタイプでbucket listの映画をみて、エジプシャンの魂が聞かれる2つの質問を自分にリフレクトしてみているのです。
Have you found joy in your life?
Have your life brought joy to others?
羨ましいのきもちが人より強いからよくなんで自分はこうなんかな、なんて考えてしまうけれどきっと自分に針を合わせることが苦手なのかな。旅をすると全部ひっぱがれてただのユナになれるから、センスに敏感でいられるし、素直にリアクションできる気がしてすき。
はじまる前に、とっても長くなったので要注意。
そんなこんなでブルガリア総括(仮)人の優しさに触れて、ある意味予測のつかない行き当たりばったり旅。でも通せんぼはいきどまりじゃない。(英語通じなさは一番だったかもしれない、でもnon-verbalの特技発動した)
向かったのはPlovdiv。バスで4時間くらいだったかな。地図でみるとこのあたり。
まずは食堂で腹ごしらえ。economy rice in Bulgaria。窓からおいしそうなごはんが見えちゃってさ、そりゃ入るしかないでしょう。
とりあえず他の人が頼んでるもの凝視して、いろいろ質問してみる。見たことないお家ご飯がいっぱいだったの!お店の人みんな頑張ってビーフ、ラムって教えてくれるからもうバイブス。
プロブディフは新市街のとなりに旧市街が広がっていて。トルコとは違う急なヨーロッパ感にずっとなんてこと!の連発。でも洋の中にオスマントルコ。とっても不思議。
ふと街の境目あたりにあるアルメニアンチャーチの前で立ち止まったの。特になにも考えてなくてぽけってちょっとzoned out。そしたら偶然その教会を運営している人がやってきて「中みていく?」ってお誘いしてくれて、ブルガリアの歴史とか教えてくれたの。IvanとNicholas。もちろんブルガリア語なんてこんにちはしか覚えてないから8割Google様たより。1300年代もの、古いブルガリア文字とギリシャ文字で描かれたイコンが飾られてた正教会派の教会。
Ivanが言うには、キリル文字ってロシア語圏で使われているアルファベットがビザンツ帝国時代にブルガリア人が改良してつくったものらしいの。この話をしている時、彼らがこれをプラウドしているのが伝わってきたなあ。
私は自分のしってた知識を答えあわせしているようなこのプロセスがすき。ただの単語でしかなかったことが意味をもつ瞬間。
今でも覚えてるone of the greatest夕焼けをみた。プロブディフ市街の丘の上。ふと思ったけど誰彼かまわず道聞いてくるのはデフォルトなんね。
2日目はすこし足をのばしてSmolyanへ。上の地図にもないような小さな山間の村なんだけど、思い出せる中で一番クレイジーだったナイト。
市営バスで大きなバスステーションに向かう。バスの乗り方はほんとうに色々で難しい。バスのおじちゃん英語通じなかったけど、トルコのすこし忙しくて、真顔せかされプレッシャーをかけてくるんじゃなくて笑いながらわからんのねぽよよんって感じ。わかる人には伝わる高校の前校長先生みたい。まったりしてた。
ちなみにブルガリアのバスは乗ってから中で集金の人にお金を渡すとちいさな小切手のようなものをもらえるシステムでした。ご参考までに。
スモニャン行きバスの時刻表は一応調べてむかったけれど、あんまりいらなかったかな。
謎にすごい消されてたから1時間くらい待ってミニバンみたいなのに乗り込む。とりあえず乗客ほぼみんなにスモニャン?って確認してちょっと安心。
たしか2時間くらいの山道ジャーニー。正直いうとスモニャンにはなんもない(笑)ウィンタースポーツが盛んなエリアだから冬はスキー場がたくさんよって聞いたけど夏は特別なことはない。でも山はあります。自然いっぱい。あと人が良いです、ほんとうに。
ここで最大のやらかしをします、数時間滞在して帰ろうとしたらプロブディフ行きミニバンがない!バス停の受付で「今日はもうさっきのが最後、明日の朝7時半が次のバス」って言われたの。あれま。さすがにフリーズ。バス停のおばちゃんは夜もターミナル開いてるからって(そう言ったといまでも思ってる)まあそういうこともあるかって5分くらい落ちこんで山のぼりすることにした。
ここでもビバブルガリア人!帰ってくる人の中に中学生くらいのグループと先生がいたの。すれ違ったときにその先生たちがジェスチャーで「一人なの?この時間から行くん?いやだめじゃないけど気をつけて、急ぐんだよ」的なことを伝えてくれて。そのおかげで行けるところまでで戻ってこられた。私がブルガリア語できないのに笑いかけてくれたり、助けようとしてくれてありがたい。
バスターミナル戻ったらどうやって寝ようかなって考えて帰ったらさ、もう予想の通りよ。閉まってるの鍵が!ドアの!24/7って言ったじゃんかってかなりのダメージ。ヒッチハイクはどこまで帰れるかわからないからオプションから消えて、本格的にどうしよう。
結論:ブルガリアのディスコからクラブに潜入、優しい人が家に泊めてくれました。
まず山だから夏なのに上着だしてスカーフぐるぐるしたけど寒くて野宿は無理だと判断。だから、とりあえず夜遅くまで開いてたレストランで時間つぶし。んだけど、これがとっても大成功。民族博物館みたいなところで、昔、ブルガリアの山間部でほんとハイジのように住んでた人たちの建物と装飾品を真似て作られてて、写真なんかも飾ってあるから思いも馳せちゃう。山から木を切って、大きな家をつくって大家族で生活して、伝統衣装を身に纏って、美しいです。
まあこのあたりでリアリティヒット。夜は12時。お店はもうやってない。町はとっても静かで。
かすかな希望をもって町の端っこで見かけたディスコがあいてないかなと思って歩いてみる。そしたらさ音楽が聞こえてきたわけ、もう天国かと思ったほんとに。お店のおじちゃん出てきて(多分見た目もあって迷子の子どもだと思われてた)どうした?なんか飲む?寒い?なか入りん?って介護サポート。もう凍えてたから紅茶ほしいって言ったら、バーの人たちホットドリンクが予想外だったみたいでえ?紅茶?皿どこだっけ?カップこれ?ってみんなわたわたして、すごい不思議そうにみてくるのあは。やっと一息。近所のおばちゃんたちが集まって踊ってたから混ぜてもらってたら、そのうちの一人が英語を話せる人で、警戒はしてたけどほっとしたの覚えてる。首都ソフィアで働いててスモニャンが地元のブルガリア愛の強い人だった。
[ 教えてもらったこと ]
- 40年前まではブルガリア人の60~70%くらいが村暮らしだったこと。
- 昔は子孫に残すために大きな家を立てていたこと。
- その名残がまだスモニャンの外れにはあること。
- 今はそのバランスが逆になって田舎には空き家が増えて、マンション(県営住宅みたいなやつだった)にみんな移動したこと。
- 若い人も減って前は7つあったクラブも今や1つとディスコが1つ。
- 小中学校は5クラス30人学級が2クラス10人前後のサイズになったこと。
- 田舎には仕事がないからみんな街に出て戻らないそう。ブルガリア自体のエコノミーが下がってきているからスモニャンは町のメインストリートしか街灯がつかない。
- だから町の人はローカルのストアから買い物をするようにしてる。牛乳は近くの村からフレッシュなのが届くし、それから家でヨーグルトは作るものなんだって。ブルガリアヨーグルト!
この後みなさんクラブ行くのにもついてったけど面白い体験だった。音楽はなんだかインド系のリズムに聞こえた。なんかねこっちのflirtingの仕方で昔紙幣をばらまいていたのが残って、ティッシュをばらまくってのがあるらしい(笑)そこら中ティッシュまみれ。いろんな人がティッシュをスタッフにお願いしてるのちょっと笑えた。
もう一回やらかしたいとは全く思わないけどすごくdive inできた経験。あの夜助けてくれた町のみなさん大感謝。朝ごはんおいしいところも連れてってくれてこれ食べて帰るんだよってバス停まで送ってくれて。私はきっとおなじ人にありがとうを行動で返せないけど、もらった優しさを他のひとに繋げて、繋げて、なんて心地いいんだろう。むふ。
なんとかプロブティフに帰った私はベリコタルノヴォという古都へと旅路をすすめます。ここはルーマニアの首都がとても近くてそっちからの観光客も多いところでした。ここの宿で聞けた共産主義時代のお話が興味深かった!実はこれはほぼオンタイムで書けていたからよかったら飛んでね〜
それではソフィアでお会いしましょ、アディオス!
ユナモノガタリ その23
あーーーけましておめでとうございます!台風のような風がイアホン飛きとばして笑いのとまらないそんな日からこんにちは、ユナです。
かなり遅ればせながら新年のごあいさつ。間にあったといって、。
去年の今ごろ2023年になったってしばらく勘違いしてたのが現実になった、ふうっと一息。
久しぶりに旅のお話を包みなおしてわたしの日常をちらりと。ちょっとdown to earthな感覚を覚えなおしたくてイランイランの香りをお部屋にひろげてみる。
最近、とても大きな変化に気がつきました。シェフィールドになのかイギリスになのかわからないけれど、ちょっと愛着を持ち始めてる。ここでの毎日が愛おしくなってきている。
長い灰色の冬のすき間にある学校までの紅葉おわりかけ並木道、太陽への懐かしさだったり、フラットメイトにおはようっていう朝、夜11時にどこからか聞こえてくる鐘の音を通りすぎる図書館からの帰り道。どれもロマンティックに感じてます。
本当はないものがたくさんあって数え始めたらいや、どのへんが逆に気に入ってるの?(笑)ってなるんだけれど、だからこそ何気ない街の変化だったりあたらしい出逢いなんてものにぎゅっとしたくなる。
そりゃ3年目だしねって言われたらそうなのかもしれないけれど、すごく本音、最初からずっとネガティブしか感じられてなくて一年過ごしたら、あと一年過ごしたら、もしかしたらって思いながらくらいついてきた日々だったような。
野犬的強さから水のような強さに変わった(と思いたい)そうやってマインドもすごくずれた2年。変化が気に入らなくて、戸惑って、なんで前みたいになれないんだろう、考えられないんだろう、動けないんだろうって嫌になった。どっかのタイミングで私は宇宙人だったのかもしれないって本気で書きなぐったノートだってあるくらい迷子だったなあ。
今とってもtransitionのまんなかに自分がいてオンラインではサクセスストーリーに触れることが多いからこのジレンマ後でトラックしたいので書いてみました。
ここでの生活がアリエッティ的借りぐらしなことに変わりはない。ただ例えば、旅先でふとした時にぽろっと出たイギリスに”帰る”ってワード。あれそっか、帰るのかってそのあと気がつく。わかるのはずっとここにいる未来は見えないけれどきっと恋しく回顧することがあるでしょう。
もうひとつ、先週学校でやった自己診断ワークショップで面白いことに気がついたの。
赤、青、黄、緑4色のカラーバランスでその人の特徴をみつけるっていうものなんだけど、自分の無意識にある色と自分がクラスメイトから見られている/ 自分が思っている色が真逆だった。もうちょっと詳しく言うと、ワークショップで周りのみんなからもらった色は青>緑の2色だけだったのにinsightsの分析結果では赤>黄>緑>青。こんなこともあるの、不思議ねって先生が言ってたけれどなんとなく自分の中では腑に落ちてきた。きっとこのズレみたいなものがいつも自分にクエスチョンしてたから。
それでふと4年くらい前に友達の繋がりでシク教の教職者的な人に逢ったことを思い出した。そこから思いふけった「パーソナリティ」とか「個」ってなんだろうってお話を書いてみようと思います。真夜中の乱文。
すごい夜だったんです。
あんまり覚えてないんだけど、たぶん友達の友達の親戚の結婚式から帰ってきたあとだったかな。お家に3人の頭にターバンをしてお髭を伸ばした(宗教的な理由だよ)おじいちゃんとおじさんとお兄さんみたいな人がやってきました。
あのおじいちゃんの役職?を表すちゃんとした名前がわからないんだけど、霊的な力もあってみんなが助言を求めに彼に会いに来る、そんなすこし不思議な人でした。
(占いとかオーラをみるとかそういうのとは全く違くてシク教の経典をもとに知恵を人々に伝えてる人だったんだと思う、キリスト教とかだと牧師さんに近いのかな。話の最後に実はただのおじいちゃんじゃないのだっていう事実を教えてもらったからいまだに混乱したままなのだ)
とっても懐かしい雰囲気を醸し出してる人で、お家にいた友達2人とそのママと私とみんなでテーブルを囲みながら色んな質問にこたえてくれた。
絶対的なアンサーを持ってるんだろうけど、これはこう!っていう伝え方をする人じゃなくてシンプルな質問を返してきたり、アドバイスの中にも共感が感じられる話し方で。
ちょっとパーソナルだから話の中身はスキップするけど、おわりがけに聞かれたの。
「シャイなのかな?君は。いや、話したいけどなにかひきとめてるものがあるのかな?話していいんだよ」って。
私の脳内はうわあああってなってた(笑)
すごい話したいのにそれと同じくらい頭の中でたくさん会話がおきてて。
わかるかな、学校の自分と家の自分ってたまに違くてそこが一緒になるとどんな風に話すっけ?って混乱するやつ。
だからとにかく困った。とにかく窮屈な感じが自分に対してあった。
でも初めましての感情ともちがかったんだよなあ。
それでね、マレーシアに持ってきた本に書いてあった分人主義って言葉を思い出した。前にも触れたことあるねこれ。
分人って考え方は、「そもそも人の体は一つだけどその個性まで一つっていう(つまり本当の自分)なんてものはないんじゃない」って仮定からはじまるの。分人っていうのは自分が向かっている相手との関わりによって生まれてくる違うバージョンの自分で、個人っていう単位は分人の集合体なんだって。んで、個性は分人の構成比率によるものだから不変的ではないと。ちょっとまとめすぎて色々ぶっとんだけど(笑)
前はそうなんだくらいにしか思ってなかったから、これがみんなにもどう聴こえるかはわからないけど、分人っていうコンセプトがすごいしっくりきた。
この窮屈な感じ最近感じてる部分がみんなあるんじゃないかな、オンラインとオフラインの世界。コミュニティだったり、言語の違いだったり。
よくね、私のことを実生活で知ってる人はユナは自由に生きてるって思ってる。わからないけどブログを読んでくれてる人の中にもきっと、いつも刺激的で楽しそうな毎日を送ってるなあって思ってる人がいるかも。
自由に生きることはシンプルに見えて難しい。23年生きてきていろんなことを知ったもんね。楽しくてわくわくした生活なわけじゃない。1日の中にいろいろあってそれに反応してしまいがちだから疲れることもある。
ここからは弱音じゃなくて本音。
正直思ってる自分と現実とでうまく向き合えるようにのプロセス中。
こんな情報は不特定多数の人がアクセスできるネットの中に放り込まなくてもいいのかもしれないけれど。
ただね、自分の弱いところもさらけ出してあげたかった。
こうやってブログっていう外に何かを発信することを続けてると、だんだん自分がなりたい自分の像を勝手に作ってしまってないかなって不安になることもあるの。
ワクワクしたことを残したいし、限りある時間で書いていこうって思うとSNSに溢れてる普遍化されたキラキラなことばっかりになってる気がして。
楽しい時間を過ごしてる私もほんものだけど、そうじゃない自分もほんもの。
シャイな自分もいる。人を羨みすぎて嫉妬にまみれてる自分もいる。
だってそういうネガティブな自分も実際いて、それを偽物のユナと思って生きてないんだって気づいた。さっきの言葉で言い換えるとさ、それも私の中の分人たちなんだなって。
だからそれを隠そうとしたりするんは違うなって思った。
もともとブログで言葉を紡いでいきたいと思ったのは、ほんっとうにちょっとでも平和な世界づくりに繋がれると思ったから。読んでくれてる人の「自分、知ってる人、その他の社会」っていう自分を中心とした輪っかの中に遠い世界のことをぶちこみたかった(笑)大ごとに聞こえるかもだけど、私が旅した国やマレーシア、イギリスの文化だったり、人との会話だったり、宗教観だったりそういうのを「その他社会」のもやっとしたところから「知ってる人が言ってるなにか」に格上げしたいの。わたしの願い。そしたらね、どんどん自分ごとになっていくから。世界地図のはしっこで起きてることとかがさ、地球っていういっしょのホームで起きてることにならないかなって。
話がすこし外れたけど、こんな理由もあってワクワクをフォーカスしてきた。
ちょっとね、自分を大切にするのベクトルを違えた気がする?
わたしはかっこよく聞こえたかったわけでも、キラキラな世界にいる留学に成功した人?になりたかったわけでもないから。ポジティブなイメージだけ先歩きして、それが本物の自分だと思われてないかなとか、誰かを苦しめたり悩ませたりする種になってしまってないかなとか考えたわけです。
*ここでのポイントは周りじゃなくて自分ね。周りの人が自分にそこまでアテンションがないのはわかってるから、これは私の思い込みから発生してるんだけど、わたしがそう感じ始めてることがよくないんだと思ったのです。
Overall、なんだか第三者視点診断によってうまく言語化できたことがあったようなので、得意そうなことの石たちをわたしの壺につめていこうと思う、2023年。人なんて弱くてあたりまえ。図々しく人を頼って、縁繋いで、積極的に私も、私のまわりも変えていきたい。未知とぐんぐん遭遇していろんなことにワオ!もうなにそれ全然わかんないじゃん!って驚きたい。365日の感情ジェットコースター実験活動します。
p.s. 手始めにとにかく体感をもとめていこうと思ってるので、ここまで読んでくれた人ほんとうにありがとうだし、もしなにかおすすめの本、詩、場所、食べ物、時間、ショーでももろもろあったらぜひ教えてくだされ。(ちなみに最近やったのはトレッキング、ボルダリング、カリブ料理をたべる、でした)
自分でも読み返せないくらいの量になった、あれま。
ここらでお開き。たくさんの愛を込めて。
今日も良い日でしたとさ!