ユナモノガタリ

温結びをしたい

ユナ旅モノガタリ 11カ国目 🇧🇬

 

ブログとかyoutubeとかオンタイムでキャッチできてる人ほんとう人間じゃないのかなってくらい尊敬します、ユナです。

時系列がいったり来たりします、順番としてはキプロス、トルコ、ブルガリア。大丈夫、10飛んでないよ。

今、ブルガリアの首都ソフィア行きのバスまで少し時間があるからこのどたばた数日をふりかえり。バスはオンラインで予約したけどはたして反映されてるのか、席なかったらどうする!なんて不安もあるけどまあきっとなんとかなる。

 

最近ふと思ったんだけど、いろんなひとが言ってるようにもしかしたら私たちのライフは書かれていてそれに従ってるだけかもしれないなって。ただ全ての分岐点にちがう道がきっとあってそのどれを選ぶのかは舵をきってる私たち次第なんだと思う。その時の自分の度胸とスキルとちょっとばかしの好奇心。それがどれを指すかはだれにもわからないから不思議で未知!私たちみんなライフジプシーなんね。だからどうなっても平気ってすごいlay backなのかもしれない(笑)なにかうまくいかなくても「あ、この後なにか起きるor起こせるわ」って切り替えられるからさ。

先がみえないからおもしろいよね

 

そんなこんなでもうすぐ終わる比較的長め滞在のveliko tarnovo(3泊4日)ブルガリア九份と名付けました。坂!坂!まだ上り坂!!

veliko tarnovo

ルーマニアの首都からの方が自国の首都より近いこの町はルーマニアからの観光客も多めだそうで。外国人の観光客は少なめだったけどルーマニア/ ブルガリア人の観光客はたくさん見かけた。多分京都的存在。

ここははーるか昔ブルガリアの第二王国があった頃の首都でいまでもその時の遺跡から、オスマントルコの侵略後の建物まで歴史に生きてるところです。なんかキプロス、トルコ、ブルガリアってずっとオスマントルコの軌跡を辿ってるのかな自分は(笑)徒歩や馬車でこの距離をやってきたと思うとほんと驚愕。それにそれほど強大な帝国があったことにもワオ。

500年の支配をこえて独立を果たしたブルガリア、その国旗がかつての王宮の跡地にはためくのを見るとなんだか鳥肌ものです。

かつての王の銅像をバックにおじちゃん達と朝さんぽ

 

毎回おんなじこと思ってるけどここも人が良かった!ゲストハウスのホストは着いて早々ルキアっていうブルガリア蒸留酒でおもてなししてくれた。他のバルカン諸国にも似たようなお酒があるもののブルガリアのは基本的に47度〜のものをいうみたい(家で作ったりもするお酒だからもはや自家製のはどうなってるのか不明)グレープでつくるから製造方法はワインと変わらないけれど味はヴォッカ、ウイスキーに近い。ブルガリア人の感覚ではビールは水、お酒はルキアらしく、野菜とチーズのサラダやメゼって料理の付け合わせで夜通し飲むそう。

夏にぴったりのタラトルという名前のヨーグルト、きゅうり、ディルの冷製スープにはアニスシードから作ったお酒と合わせるのがいいとのこと。

キプロスはコーヒー

トルコは紅茶

ブルガリアは酒です(笑)

こちらは水と混ぜると色が変わるマスティカ

 

このホストの人の話がすんごい興味深くて、ブルガリアって一回共産主義時代を過ごしてるのね。それもずっと昔のことじゃなくてそれこそ今のおじさん世代からその2つ上の世代くらいまで。その頃は学校で選べる体育の種類も少なかったとかでとにかく共産時代はブルガリアといえばレスリングだったそう。ホストのおじちゃん出身地は地方の村だけど同級生にレスリングのオリンピックチャンピョン?がいたらしくその生活ぶりも教えてくれた。普通、オリンピックでメダル取ると国やオリンピック協会からおめでとう賞金がもらえるけど、その時代では誰かひとりが富を持てなかったから彼はずっと普通のマンションの5階に家族と住んでたそう。唯一のpreviledgeは外車を手に入れられるルートを得られることで(その時代車といえばロシア製で、新車は1〜2年待たないといけないくらい簡単に持てるものではなかった)一般の人たちは中古車を改装しながら使ってたんだって。

勝手に共産主義時代のことって突っ込んで聞いちゃいけないかなって思ってたから笑いながらむかし話してくれてありがたい。ほんの一部だけどイメージが湧いた。

道ばたリンデンフラワーハーブティー

 

ブルガリアの旅はもうすぐ終わり。

バス、電車でまわってみたけれど本当に自然の中に人が住んでると思った。山を越えて、ほぼ縦断。車もパスポートもなかった時代の旅はどんなだっただろうって想像する。どれほど孤独で貴重で厳しく美しかったか。今、考古学博物館のようになってチケットがないと入れなかったりする建物で夜を明かした旅人もいたんだろう。羊を売ったり、ヨーグルトを作ったり、織り物をしたり。その生活はもうないけれど、それでもここの人の素朴さはなくなってない。街にいても人の温度を感じられて、たくさん助けてもらった場所でした。

山の中、民家もない場所のおじいちゃん駅員さん

そんなじんわり広がる温度をみんなでこうかんこできる地図作ってみたいなあ。オンラインだからこそとり戻せる繋がりをだれかと分けあいっこしたいな、なんて思うのです。

 

もっとディープな旅のお話はぜんぶ終わってからしゃべらせて(笑)

それではまた!チャオチャオ〜